指笛が吹けない人でも、「指笛」ということばは知っています。ところが、これを載せていない辞書がけっこうあります。昔はなおさらのことで、大きな辞書にも「指笛」は載っていませんでした。『三省堂国語辞典』の初版(1960年)にもありません。
「指笛」の項目は、『三国』の第二版(1974年)で採用されました。おそらく、これが辞書に載った最初だと思います。語釈は次のとおりでした。
〈二本の指を口へ入れ、強く息をはくことによって出す、笛(フエ)のような ひびき。〉
この説明からは、合図などのために鳴らすイメージが浮かびます。しかしまた、指笛はメロディーを奏でるものでもあります。その説明は、まだ第二版にはありませんでした。
『三国』の主幹だった見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)は、演奏としての指笛も知ってはいました。というのも、指笛奏者の田村大三さんが新聞に寄せた回想記(『日本経済新聞』1964.4.16)を、リアルタイムでカードに採集しているからです。記事によれば、昭和初期に田村さん自身が演奏としての「指笛」を命名し、演奏活動を始めたことが分かります。ただ、この情報は、辞書の記述には反映されませんでした。
ところが、第二版の出た1974年の7月、田村大三さん本人が見坊邸を訪問するというできごとがありました。今、田村夫人のご厚意でお送りいただいた自伝『指笛音楽六十年』(中央公論事業出版 1994年)を開くと、次のようにあります。
〈〔「指笛」が『三国』に載ったことを知り〕練馬区石神井のご自宅に見坊先生を訪ねました。/一曲聞いて下さった先生は、今度大きな辞典の話があるから、それには指笛音楽という言葉も載せて上げたいネ、とおっしゃって下さいました。〉(p.75)
指笛の生演奏を聴いた見坊は、深く感動したに違いありません。『三国』の第三版(1982年)では、次のように記述が精密になりました。
〈指を口へ入れ、強く息をはくことによって出す、するどいひびき。また、折りまげた指を口にくわえて、メロディーをふき鳴らすもの。〉
指の形が、合図と演奏とでは違うことが分かります。後半の部分は、田村さんの実演をつぶさに観察した結果をまとめたものでしょう。創始者の生演奏という一級の資料によって、語釈が的確になりました。この語釈は、今回の第六版でも踏襲しました。