電子辞書が普及し、いくつもの辞典・事典類を一度にまとめて検索(くし刺し検索)することができる時代になりました。テレビのニュースで聞いたことばなら時事用語辞典、ことばの使い分けを知りたいときは類語辞典というふうに、目的に応じた情報源から情報を引き出すことができます。便利に使っている人も多いでしょう。
そうした数ある情報源のうち、国語辞書は、いろいろな情報がつまってはいるものの、ある特定の目的では使いにくいという意見もあります。なにしろ、ひとつひとつの説明が最小限の長さしかありません。電子辞書に収録された専門の辞典・事典類とは、くわしさの点で比較になりません。
そこで、「国語辞書の第一の役割は、意味を説明したりすることではなく、日本語を一覧表にして示すことだ」と言う人もいます。たしかに、ひとつの興味深い見方です。でも、もし、国語辞書のセールスポイントが「日本語の一覧表」にすぎないのなら、作り手が苦労してことばの説明を考えることは、あまり意味がないことになります。
国語辞書に「日本語の一覧表」以上の意味をもたせるため、説明をより詳細にするという行き方もあります。ところが、われらが『三省堂国語辞典』は、むしろ簡潔な説明を目指しています。有用性に逆行するかのような道を、なぜ、あえて選ぶのでしょうか。
作り手の一人として、私なりの答えを言えば、「くわしい」イコール「役に立つ」ではないからです。むしろ、簡潔な一行が、そのことばをうまく説明することがあります。
私は、国語辞書の説明を、似顔絵にたとえてみることがよくあります。人の顔を写実的に描いた肖像画では、その人の目鼻立ちは細部までわかりますが、特徴はかえってつかみにくくなります。一方、シンプルな似顔絵では、細密さはなくなりますが、特徴はかえって強調され、一目でわかるようになります。『三国』が昔から追求しているものは、この「似顔絵の分かりやすさ」だと、私は思います。
もっとも、似顔絵は実物をゆがめて描きますが、辞書の説明はゆがんでいては困ります。したがって、似顔絵と『三国』の説明は完全に同じではありませんが、たとえとしては有効でしょう。似顔絵が「要するにその人はどういう人か」を表現するのと同じく、『三国』は「要するにそのことばはどういうことばか」を簡潔に説明することを目指しています。