タイプライターに魅せられた男たち・第5回

クリストファー・レイサム・ショールズ(5)

筆者:
2011年9月22日
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ショールズとシュバルバッハとグリデンは、さらに、タイプライターのキーをボタン型にした上で、スペースキーを大型化する、という改良をおこないました。ピアノに似た鍵盤よりも、ボタン型のキーボードの方が、より多くのキーを配置することができます。また、電文を受信してタイプライターで打つ際に、最も多用されるキーは、アルファベットでも数字でもなく、スペース(空白)です。そこでショールズたちは、ボタン型キーの手前に、キーボードの端から端まであるスペースバーを配置したのです。

1870年9月、ショールズはデンスモアと共に、ハリントン(George Harrington)という人物に会うため、ニューヨークに来ていました。リンカーン政権時代の財務次官で前スイス大使のハリントンは、AP通信の創始者の一人クレイグ(Daniel Hutchins Craig)と共に、アメリカン・テレグラフ・ワークス社という電信機器製造会社を設立するところでした。ショールズとデンスモアは、ハリントンの会社でタイプライターを製造できないか、商談を持ちかけていたのです。しかし、ショールズのタイプライターは、ハリントンの会社の若い技術者エジソン(Thomas Alva Edison)に酷評されました。エジソンは、のちにこう語っています。

とても商売になるシロモノじゃなかった。とにかく、文字が行の中で全然そろってなかった。各文字ごとに1/16インチは上下していて、今にも行から逃げ出しそうな勢いだった。

そこでクレイグは、ショールズとエジソンとを競わせようと考えました。ハリントンの会社でタイプライターを製造するのではなく、ショールズとエジソンそれぞれに機械を作らせ、より良い方をハリントンの別の電信会社(オートマチック・テレグラフ社)で使おう、というのです。ショールズは、ハリントンとクレイグの要求に応じて、数多くの改良をタイプライターに施しました。一方のエジソンは、クレイグの再三の督促にもかかわらず、1年後の1871年9月までに『タイプホイール式ユニバーサル・プリンター』を完成させることができませんでした。

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クレイグからエジソン宛の督促の手紙(1871年1月31日)
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この時、ショールズが施した改良の一つに、ロール紙をタイプライターで使用できるようにする、というものがありました。オートマチック・テレグラフ社で受信する電文には、しばしば非常に長いものがあり、カット紙1枚に収まるとは限りませんでした。しかし、受信中にカット紙を交換している余裕はありません。そこで、タイプライターでロール紙を使えるようにし、電文が終わった段階でロール紙を適宜切り取る、というやり方ができるよう、ショールズは改良をおこなったのです。また、ロール紙を巻いたプラテンを持ち上げることができるような改良も、ショールズは施しました。印字はロール紙の下側におこなわれるので、受信中に電文が正しく打てているかどうか即座に確認できるように、との配慮からでした。このように、電文の受信に特化した形で、タイプライターの改良はおこなわれていったのです。

(クリストファー・レイサム・ショールズ(6)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

安岡孝一先生の新連載「タイプライターに魅せられた男たち」は、毎週木曜日に掲載予定です。
ご好評をいただいた「人名用漢字の新字旧字」の連載は第91回でいったん休止し、今後は単発で掲載いたします。連載記事以外の記述や資料も豊富に収録した単行本『新しい常用漢字と人名用漢字』もあわせて、これからもご愛顧のほどよろしくお願いいたします。