タイプライターに魅せられた男たち・第147回

山下芳太郎(2)

筆者:
2014年9月11日

鎌倉の材木座へと奥野が去った後、山下は、1892年7月に東京高等商業学校を卒業しました。陸軍で約1年間の兵役を終え、1893年12月には外務省に入省しました。奥野や長谷川が果たせなかった外交官の道を、山下が目指すことにしたのです。1894年3月には、第1回外務書記生試験を首席で合格、7月、在孟買(ムンバイ)帝国領事館に書記生として着任しました。ただしこの時点では、まだムンバイに領事は着任しておらず、帝国領事館の立ち上げをおこないながら、9月の呉大五郎の着任を待ったのです。インドには、まだ在外公館は一つもなく、ムンバイの帝国領事館が、インドで最初の在外公館となりました。

その後、山下は、1896年2月、在里昂(リヨン)帝国領事館に異動ののち、1896年4月、在倫敦(ロンドン)帝国領事館に異動となりました。ここで山下は、セイラー(Clarence Heinrici Seyler)という人物に出会っています。在倫敦帝国領事館はビショップスゲート84番地にあって、斜め向かいにクロスビー・ホールがありました。山下は、いつもこのクロスビー・ホールで昼食をとっていました。クロスビー・ホールには常連客が多く、山下も、それらの常連客と話す機会が増えていったのですが、中でもかなり見識の深い老紳士がいました。年のころは50歳ばかりでしょうか、この人物がセイラーでした。

ロンドン郊外のハックニーにあるセイラーの自宅に招かれた山下は、そこで壁一面の蔵書を見ました。哲学書を中心とする膨大な数の蔵書に、どれもいちいち詳しい注釈が書き加えられていて、セイラーが蔵書を全て精読しているのが、山下にも見て取れました。どの書物から読み始めるべきか、と、教えを乞う山下に、セイラーは、フィスク(John Fiske)の『Outlines of Cosmic Philosophy』全2巻を示しました。スペンサー(Herbert Spencer)の進化論を、かなり易しく書き改めた書物です。

山下は、『Outlines of Cosmic Philosophy』をみずから買い求め、日曜日のたびごとにセイラーの自宅に出向いて、セイラーを質問攻めにしました。進化論は、山下にとって全く新しい学問で、先生となるのはセイラーしかいませんでした。セイラーは、山下に快く応え、さらに読むべき書物を次々に示しました。実はセイラーは、末娘のアテネ(Athene Seyler)を、授業に進化論を取り入れている小学校に行かせているほどで、かなり先進的な進化論者だったのです。社会進化論と呼ばれる、ある意味、進化と進歩を同一視する哲学論を、こうして山下は自らの中に吸収していったのです。

山下芳太郎(3)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。