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曲のエピソード
1960年代のアメリカを語る時、決して避けては通れない社会的現象のひとつが、公民権運動、すなわち、アフリカン・アメリカンの人々が法の下の平等を勝ち取るために繰り広げた一大ムーヴメントである。R&B/ソウル・ミュージックの売れっ子アーティストたちは、所属レーベルの意向もあってか、積極的にそうした活動に関わることはなかったが、ニーナ・シモンは違っていた。彼女は、自らの強固な意志で、その真っ只中に身を投じたのである(彼女の人生にご興味のある方は、1995年に出版された日本テレビ刊『ニーナ・シモン自伝 ひとりぼっちの闘い』を一読されたし)。よって筆者は、彼女の名前を見聞きする度に、“シンガー”よりも“公民権活動家”というイメージを真っ先に思い浮かべてしまう。が、ニーナ・シモン=シンガー、ということを覚醒させてくれる唯一の曲、それがこの「Don’t Let Me Be Misunderstand(邦題:悲しき願い)」である。
日本人に限らず、世界中の人々にとっては、多くのアーティストによってカヴァーされてきたこの曲のヴァージョンの中で、サンタ・エスメラルダ(Santa Esmeralda/1977年にアメリカ人とフランス人によって結成されたディスコ・バンド)のそれが最も耳に馴染んでいることだろう。あるいは、もう少し上の世代の人々の中には、本連載第28回で採り上げたアニマルズのヴァージョンで知った、という人もいると思う。サンタ・エスメラルダのカヴァーは1977年のリリース、アニマルズのそれは1965年のリリースだが、奇遇なことに、どちらも全米チャートでNo.15を記録している。筆者が生まれて初めて耳にしたのはアニマルズのヴァージョンだったため(またシングル盤の話で恐縮だが、最近、家人が日本盤シングルを中古で見つけてプレゼントしてくれた)、本来、「悲しき願い」は気だるい雰囲気の曲だと思っていたので、サンタ・エスメラルダのアップ・テンポのディスコ・ヴァージョンを中学生の時に初めて聴いた時には(同級生の男子が日本盤シングルを持っていて、それを借りて聴いた)、とても同じ曲とは思えないほど驚いた。また、幼い頃、日本人の尾藤イサオさんが歌ったカヴァーを耳にした記憶もある。今でも鮮明に憶えているのは、♪みんなオイラが悪いのさ……というフレーズ。一人称が「オイラ」! 忘れようにも忘れられない。
この曲のオリジナル・ヴァージョンがアニマルズだと思っている人は多い。何故なら、ニーナのヴァージョンは、シングル化されるも、全くヒットしなかったからだ。しかしながら、ニーナのオリジナル・ヴァージョンを初めて聴いた時、“この歌詞は女性が歌ってこそ深い意味を持つ”と感じた。ましてやそれが、公民権運動の渦中に自ら身を投じたニーナによる歌だと知って以来、オリジナル・ヴァージョンを凌駕するカヴァーはひとつもない、と思うまでに至った。シンガーとして、そして公民権運動活動家として、また、ひとりの女性(人間)として、1960年代という激動の時代に波乱万丈の人生を送ったニーナが歌った「悲しき願い」は、当時、その内容から、人種差別撤廃への祈りが込められている、と世間に受け止められる一方で、彼女の当時の私生活が反映されているのでは、とか、実際に受けた人種差別などへの怒りや悲しみが込められているのでは、とか、様々な憶測が飛び交ったという。「みんなアタシが悪い」わけではなかったのだ。
なお、『ニーナ・シモン自伝』の巻末には、彼女のディスコグラフィが載っており、この曲がオープニングに収録されているアルバム『BROADWAY-BLUES-BALLADS』には、“ニーナにしては珍しいオーケストラを従えたスタンダード志向の異色作。「悲しき願い」が印象的”とある。実に的を射た論評だ。
曲の要旨
あたしのこと、頭がどうかしちゃったと思ってるのね。人間ってね、常に上機嫌でいられるわけじゃないってこと、あんただって判ってるでしょ? 何をやっても上手く行かない時、物事を悪い方へ悪い方へと考えてしまうものなのよ。こう見えても、あたしは人に害を与えるような人間じゃないの。お願いだから、あたしのことを色眼鏡で見ないでちょうだい。人生には悩みや心配事が付きものだけど、あたしは過分なほどに成功を収めてるわ。でもね、あたしが望んでこうなったわけじゃないのよ。あんたを愛してるから、そのことであんたを見下そうなんて思っちゃいない。あたしだってみんなと同じ普通の人間なのよ。過ちも犯すことだってあるわ。だからどうか、あたしのことを誤解しないで。
1964年の主な出来事
アメリカ: | 雇用上の人種差別などを撤廃する公民権法(Civil Rights Act)が成立。 |
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公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング Jr. 牧師がノーベル平和賞を受賞。 | |
日本: | 東京オリンピックが開催される。 |
世界: | ソヴィエト連邦でブレジネフが共産党第一書記に就任。 |
1964年の主なヒット曲
She Loves You/ビートルズ
My Guy/メアリー・ウェルズ
Rag Doll/フォー・シーズンズ
The House of The Rising Sun/アニマルズ
Oh, Pretty Woman/ロイ・オービソン
Don’t Let Me Be Misunderstoodのキーワード&フレーズ
(a) a soul whose intentions are good
(b) don’t let me be misunderstood
(c) I’m just human
筆者の頭の中には、“この英単語(もしくはイディオムや言い回し)をこの曲で覚えた、というのが無数に記憶されているが、“misunderstand(誤解する)”は、アニマルズのこの曲のカヴァーで初めて知った。まだ小学生の頃である。小6の時、実家から徒歩数分の英会話教室に通った動機は、FEN(現AFN)で聴いた洋楽ナンバーの歌詞の意味を知りたかったこと。だから、FENを聴きながら、耳で拾った単語をせっせとメモしたものである。R&B/ソウル・ミュージックの専門番組以外で特に愛聴していたのが、古い曲を流すTHE TIME MACHINEなる番組。同番組では、その日その日にある年代にスポットを当てる。例えば、1965年なら、その年にヒットした曲を、ジャンルを問わず延々と流すのだ。筆者が古い洋楽ナンバーを追体験できたのも、同番組に負うところが大きい。何しろ、自分が生まれる前や幼少時代にヒットした洋楽ナンバーのほとんどを、その番組で知ったのだから。アニマルズによる「悲しき願い」も、記憶は定かではないが、恐らくTHE TIME MACHINEで初めて聴いたのだと思う。子供心に“何て悲しい曲なんだろう”と思ったものだ。
それにしてもニーナのオリジナル・ヴァージョンは衝撃的だった。筆者は、彼女のことを、“歌”よりも公民権運動の“活動”を通して知ったので(10~20代の頃、取り憑かれたようにアフリカン・アメリカン関係の歴史本を読み漁ったため)、その物憂げな歌いっぷりに頭をガツンとハンマーで殴られたような感覚に陥った。先述の『ニーナ・シモン自伝』を読んでからは、特に彼女の「悲しき願い」は公民権運動の真っ只中にいたアフリカン・アメリカンの人々の心情と重なって聞こえるようになり、歌詞に登場する、ラヴ・ソングの常套句♪I love you…のフレーズなど、どこかへ吹っ飛んでしまったほどである。
歌詞を綴ったのはニーナ自身ではないのに、これほどまでに彼女の心の深層部が行間に込められた持ち歌が他にあるだろうか? 彼女は激しくもまっすぐな気性の持ち主だった。ゆえに、第三者から誤解を受けることも度々あっただろう。しかし彼女は、天性の強靭な精神力でもって、逆境に立たされる度に困難に果敢に立ち向かって行ったのである。ニーナを想う時、筆者はかの有名な“バス・ボイコット運動”のきっかけとなったアフリカン・アメリカン女性のローザ・パークス(Rosa Louise McCauley Parks/1913-2005)の姿と重ね合わせずにはいられない。
ニーナはこの曲で訴える。「私は良い心根を持ったひとりの人間」なのだと。そのフレーズが(a)である。ここは、関係代名詞の“whose”を含んだ、少し回りくどい言い回しだが、単純なセンテンスに書き換えると次のようになる。
♪I’m a good person./I’m a harmless person.
筆者はまた、“intention(s)”なる英単語もこの曲で知った。意味は「意向、意図、目的」だが、複数形を用いた言い回しの“with good intentions”は、「善意で」という意味になる。(a)をやや意訳するなら、「善意の塊の人間」(ここの“soul”は「魂」ではなく「人間」の意)となるだろうか。「私は突拍子もない行動に出ることもあるけれど、本当は心根の優しい人間なのよ」と訴えかけている主人公の心情が切ない。
タイトルの(b)もまた、持って回った言い回しである。端的に言えば、こういうことだ。
♪Don’t misunderstand me.
タイトルをそのまま日本語に訳すなら、「私を周りの人々に誤解させないでちょうだい」となるが、この日本語もかなり回りくどい。そう考えると、尾藤イサオさんによる日本語ヴァージョンの「みんなオイラが悪いのさ」は、珍訳を通り越した妙訳にも思えてくる(ちゃんとオリジナル・ヴァージョンのメロディに乗っかってるし!)。
(c)にある“human”は可算名詞だが、通常、複数形で用いられる(human beings=人間)。が、一個人を指す場合、何故だか不定冠詞の“a”が付かない。筆者はこのことを、ミラクルズ(The Miracles/モータウン・サウンドを支えたグループのひとつ)のヒット曲「Ooo Baby Baby」(1965/全米No.16)で知った。同曲では、次のように歌われている。
♪I’m only human.
意味は(c)と同じである。「自分もみんなと同じ人間である」と。そこに続くフレーズは、「私だってみんなと同様、過ちを犯すのよ」なのだが、「Ooo Baby Baby」でも、同じようなフレーズが前後にある。(c)のいわんとしていることは、「人間は過ちを犯すものだ」ということ。飛躍した意訳をするなら、「完全無欠の人間なんてひとりもいない」となるだろうか。この曲は、聴く人によって様々な解釈ができるだろう。筆者の場合、タイトルの(b)よりも、実はこの曲が最も訴えかけたかったのは(c)だったように思えてならないのだ。「私だってみんなと同じ普通の人間なのよ。だからちょっとばかり周りの人々と違うからといって、私を白い目で見ないで」と。