歴史を彩った洋楽ナンバー ~キーワードから読み解く歌物語~

第67回 I Want To Know What Love Is(1984/全米、全英の両チャートでNo.1)/ フォリナー(1976-)

2013年1月30日

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●歌詞はこちら
https://www.azlyrics.com/lyrics/foreigner/iwanttoknowwhatloveis.html

曲のエピソード

当時では珍しかった、英米の両国出身者によって結成されたロック・バンドである。バンドの中心人物であり、現在もフォリナーを率いている唯一の生え抜きメンバーでギター担当のミック・ジョーンズ(Mick Jones/1944-)は、イギリス人。結成以降、何度かメンバー・チェンジをくり返しながらも、今なお現役のバンドとして活動している。

フォリナーのヒット曲には、“ちょっと惜しい(=全米No.1に届かなかった)ナンバー”が結構ある。例えば、彼らのバンド名を見聞きして即座に想起されるのが、惜しくも全米No.2に終わってしまった「Waiting For A Girl Like You」(1981/ただしメインストリーム・ロック・チャートではNo.1/ゴールド・ディスク認定)である。同曲は、オリヴィア・ニュートン=ジョンのモンスター級大ヒット曲「Physical」(1981/全米チャートで10週間にわたってNo.1/プラチナ・ディスク認定)と、同曲に代わって全米No.1の座に就いたダリル・ホール&ジョン・オーツの「I Can’t Go For That (No Can Do)」(1981/全米、R&Bの両チャートで1週間だけNo.1の座に就いた)に阻まれて、10週間もの間、全米チャートでNo.2の座に甘んじた。が、その雪辱を晴らした(?)のが、今回、採り上げた「I Want To Know What Love Is」である。フォリナーには、全米トップ10入りの大ヒット曲が9曲もあるが、うち首位の座を射止めたのは、現時点でこの「I Want To Know What Love Is」のみ。

M・ジョーンズの作詞作曲によるこの曲は、彼の実体験に基づいている。当時、彼が恋していた女性が人妻だったため――そして有体に言えば、結局は略奪結婚に成功したものの、2002年に離婚――不倫の恋に身を焦がす苦悶と、更には人生に対する漠たる不安と対峙した時の、自身の内なる思いを歌詞に綴ったのだという。「I Want To Know What Love Is」の歌詞が全体的に概念的で抽象的なのには、そうした理由があったのだった。

ちなみに、この曲がゴスペル・ナンバーに聞こえる、という人がいるとしたら、それはなり鋭い耳の持ち主である証拠。曲を聴けばお判りの通り、バックグラウンド・コーラスは、一聴して聖歌隊のそれと判る(歌っているのはニュージャージー聖歌隊で、同聖歌隊もこの曲をカヴァーしてレコーディングしている)。また、筆者が“喉に土管が埋め込まれているに違いない!”と本気で信じるほど強靭な喉の持ち主であるミュージカル女優兼シンガーのジェニファー・ホリデイもゲスト・シンガーとして参加。彼女は、1981年に上演され、計522回もの公演回数を誇ったブロードウェイ・ミュージカル『DREAMGIRLS』で重要なエフィ役を演じた女性で、そのリメイク版映画(主演はビヨンセ)は2006年に公開されて大ヒットした。その際、エフィ役を演じたのは、同映画への出演を機に人気R&Bシンガーになったジェニファー・ハドソンで、初めて出演した映画で見事にアカデミー助演女優賞を手中に収めた。

マライア・キャリーを始めとして、多くのアーティストにカヴァーされている名曲だが、やはり聖歌隊による荘厳なコーラス(そして“喉に土管”のジェニファー・ホリデイ!/バックグラウンド・ヴォーカルに耳を澄ませば、彼女の声が際立っていることに気付くはず)を従えたオリジナル・ヴァージョンが極上の出来栄えである。余談ながら、モータウンが創立30周年を祝って、ニューヨークはハーレムにあるアポロ劇場で“MOTOWN RETURNS TO THE APOLLO”と銘打った式典を1985年に開催した際、フィナーレで歌われた曲は、往年のモータウンのヒット曲ではなく、何故だかこの「I Want To Know What Love Is」だった。オオトリを務めたのはダイアナ・ロスだったのだが、途中から出演者のひとりだったパティ・ラベルが闖入してきて大熱唱してしまい(苦笑)、ダイアナの歌声がすっかり鳴りを潜めてしまうハメに……。モータウンの祝典のエンディングを飾る曲に選ばれたというのは、フォリナーにとってもさぞかし名誉なことだったに違いない。

曲の要旨

一度ここで立ち止まって、いろんなことを熟考してみなければ、と思う。例えば、歳を取った時、自分がどんな風になっているかを想像するために、人生の意義を深読みしておかなければ……。僕の人生は、傷心と苦悩の連続だった。この先、それらと対峙した時、果たして乗り越えられるだろうか。これまでの孤独な人生を何とかして明るいものに変えたくて、途方もなく長い年月を過ごしてきた気がする。もうどこにも逃げ場はない。ひょっとしたら、僕はようやく愛というものに目覚めたのかも知れない。でも、愛って本当はどんなものなのだろう? 誰でもいいから僕に教えてくれ。誰かに愛されるって、どんな感覚なんだろう? みんな、僕に教えてくれよ。

1984年の主な出来事

アメリカ: ロサンゼルスでオリンピックが開催される(ただし、旧ソ連と東欧諸国は不参加)。
日本: 江崎グリコの社長が誘拐され、後のグリコ・森永事件へと発展。
世界: イギリスのサッチャー首相が中国を訪問し、1997年に香港を返還するとの共同声明を発表。

1984年の主なヒット曲

Owner of A Lonely Heart/イエス
Hello/ライオネル・リッチー
Ghostbusters/レイ・パーカー・Jr.
Let’s Go Crazy/プリンス&ザ・レヴォリューション
Out of Touch/ダリル・ホール&ジョン・オーツ

I Want To Know What Love Isのキーワード&フレーズ

(a) read between the words
(b) as life grows colder
(c) I want to (wanna) know what love is
(d) love finds someone

筆者の旧友が、フォリナーの“惜しくも全米No.2”の大ヒット曲「Waiting For A Girl Like You」を“自殺ソング”と言って切り捨てたことがあった。同曲を聴くと、思わず自殺したくなる、というのである。確かに暗い曲ではあるが、筆者に言わせれば、この「I Want To Know What Love Is」も、まかり間違えば“自殺促進ソング”の部類に入ると思う。メロディも歌詞も陰鬱極まりなく、自ら進んで聴きたいとは絶対に思わない(なのにナゼだか拙宅には同曲の日本盤シングルがある/苦笑)。イントロからして、何やら不穏な空気を感じずにはいられない。一聴すれば、主人公の男性の独白のようにも聞こえるが、歌詞に登場する“you”とは、英語学でいうところの不定代名詞である。つまり、ある特定のひとりの相手ではなく、「一般人」、すなわち「誰でもいいから第三者」を指す。これを知らない日本人と英語教師は意外と多く、かの村上春樹氏が、サリンジャーの代表作『THE CATCHER IN THE RYE』(1951)の新訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ(旧邦題:ライ麦畑でつかまえて)』(2003)で、この「一般人」を指す“you”を思いっ切り誤訳していた、ということが、だいぶ前に、『月刊新潮』掲載のマーク・ピーターセン氏によるコラム「ニホン語、話せますか?」で指摘されていた。“you”は、必ずしも目の前にいるひとりの相手=youを指す言葉だとは限らないのだ。筆者は、英語の素人(と、敢えて言わせてもらう)による翻訳本をかたくなに回避してきているので、村上氏による『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(旧邦題を変えたことにも義憤を憶えたほどだ)を読んでいないし、今後も読みたいとは思わない。「一般人」を指す“you”は、例えばこんな場合に使う。

◆You wash your face in the morning, don’t you?(朝、起きたら、先ずは洗顔するよね?)

この場合の“you”が、必ずしも目の前にいるたったひとりの人間でないということがお判りだろう。そして、「誰でもない誰か=一般人」を指す“you”は、英語の会話の中で頻繁に用いられるのである。どうやら村上氏は、そのことをご存知なかったようだ。

曲自体が独り歩きし、新たな解釈を加えられて様々な場面や場所で歌われる、というのは珍しいことではない。特に、歌詞が如何様にも解釈できる内容である場合に、その傾向に走り易いのではないだろうか。「I Want To Know What Love Is」も、恐らく作者のM・ジョーンズの意向を遥かに超越して、実に様々な人々の胸に訴えかけたものと思われる。そうでなければ、聖歌隊が独自でこの曲をカヴァーしてレコーディングするはずがない。

洋楽ナンバーの歌詞でしばしば見聞きする(a)は、れっきとしたイディオムで、意味は「行間を読む、そこに綴られた言葉の裏側に潜む意味を汲み取る」。この曲の主人公は、年齢を重ねるにつれて、自身が(a)の行動を取らねばならない、と歌っているのだ。相手が発した言葉を額面通りに受け止めるのは素直な人間にありがちな行動だが、ヒネクレ者(と、筆者は子供の頃から亡母にそう糾弾され、そして本当にヒネクレてしまった)は、必ず相手が発した言葉の裏側を読み取ってしまう習性がある。つまり、(a)の行動を身に着けた者は、もうそれだけで世を拗ね、老成してしまうのだ。筆者同様に。この曲を作詞作曲してレコーディングした時、M・ジョーンズは文字通り不惑(40歳)だったが、それとは裏腹に、自身の人生に迷いっ放しだったようである。そして筆者は、今まさに半年余りで別れを告げんとする40代を振り返ってみて、この10年間が「不惑」どころか迷ってばかりの歳月だったと思う。このトシになって、「愛がどういうものか教えてくれ」なんて誰かに訊きたいとは思わないし、その本質を知ったところで嬉しくも何ともないが、この曲を聴く度に、タイトルを含む(c)のフレーズが容赦なく胸に突き刺さるのだ。

♪I wanna know what love is, I want you to show me(愛って本来はどんなものなんだろう? みんな、それがどんなものかを僕に教えてくれよ)

――恐らくこれは、全人類にとっての永遠の疑問であり、希求すべき課題でもあろう。筆者も、未だに「愛」なるものが何であるのか解らずにいる。恐らく解らないままに生涯を終えるであろう。「愛は惜しみなく与えるもの」とか「愛は惜しみなく奪うもの」などという言い回しは、反吐が出るほど大嫌いなので、筆者はそれらを額面通りに受け止めない。そういう文言を妄信している人々には、ぜひとも一度「I Want To Know What Love Is」を傾聴して頂き、「愛とは何か?」と自問自答して頂きたいものである。それは決して“give and take”だけではない、と悟るはずである。「愛は惜しみなく与える(奪う)もの」だって?――それって、単なる綺麗事じゃないの? 50年近くも生きれいれば、そんな美辞麗句を易々と信用できなくなってしまうのだ(妙齢のお嬢さん方、ぜひともこのことを憶えておいて下さいませね)。

人生に艱難辛苦は必ず付いて回るもの。(b)は、洋楽ナンバーでしばしば見聞きするフレーズで、以下のようにも言い換えることができる。

♪as life gets colder

直訳すれば「人生が冷たくなっていくにつれて」、意訳すれば「これからの人生に苦しみがどんどん増えていくにつれて」――ここのフレーズの“life”は、「世間」と意訳してもいい――には、主人公の心の中に渦巻いている漠たる将来への不安が投影されている。そして主人公はこう自分自身に言い聞かせるのだ。「今、僕の目の前には困難が立ちはだかっているけれど、それを何とかして乗り越えなければ。今の僕が背負っている重荷や憂鬱な気分も、愛の光が照らしてくれれば、人生がどんどん辛くなっていっても耐えていける」と。

この曲が大ヒットした1985年、アメリカ第40代大統領のロナルド・レーガンが大統領選で再選を果たした。早い話が、悪名高きReaganomics(富裕層を擁護するためのトンデモ経済政策)の続行がまたぞろ始まった年である。アメリカはレーガノミックスに辟易しており、景気はどん底だった。そんな病んだ時代だったからこそ、フォリナーのこの曲は全米チャートの首位に躍り出たのだと、筆者は個人的に分析している。

(d)は非常に日本語に訳しにくいフレーズだが、“find”には、「~に~を供給する、~に~をあてがう」という意味もあり、同フレーズを直訳すれば「とうとう愛が僕を見出してくれた」となるが、それだと日本語として解りにくいので、以下のように(d)を含むフレーズを書き換えてみた。

♪It looks like I have finally found the real love.

書き換えたフレーズを訳すと、「僕はとうとう真実の愛を見出したようだ」となる。筆者は亡母がレッテルを貼った通りのヒネクレ者なので、真実の愛や永遠の愛などこの世に存在し得ないと思ってこれまで生きてきたのだが、(d)のフレーズを耳にする度に、何となく神聖な気持ちになってしまう。恐らく、この曲をゴスペル・ソングと捉えて歌っている聖歌隊の人々も、“love”を“God’s love(=神の慈愛)”と受け止めているのだろう。

この曲の邦題は、原題を縮めただけのカタカナ起こし「アイ・ウォナ・ノウ」である(実につまらない邦題!)。が、日本盤シングルには、次のような過剰な(苦笑)キャッチ・コピ―が記されてある。曰く――(※【 】内は筆者のツッコミ)

このイントロ……口ずさめますか【一聴しただけで口ずさめるはずないだろ!】
このメロディー……歌えますか【日本盤シングルに楽譜が載ってないのにどうやって歌えっていうのか?】
長い沈黙を破ったフォリナーのニュー・シングル!【長い沈黙と言いながら、最後のヒット曲からたかだか約2年半しか経っていない。こういうのは「長い沈黙」とは言わない】
アンビリーヴァブリー・グレイト!!【カタカナ語として、かなり無理アリ】

容赦ないツッコミを入れてしまったが、実は筆者は日本盤シングルのジャケ写にプリントされた、こうした“時代を反映した”キャッチ・コピ―が大好きである。イントロは口ずさめないものの(苦笑)、筆者はこの曲が大ヒットしていた当時に、既に歌詞をそらで暗譜していた。よって、このキャッチ・コピーは筆者にとって余計なお世話だったのだが、当時の担当ディレクターさんの熱意がひしひしと伝わってくる文言ではある。

筆者は個人的に「愛」という漢字も響きも好まない。英語の“love”の方がしっくりくるのは、英単語の方が様々な意味を含有しているせいだろうか。以下、極論。英語の“love”に含まれるすべての意味を100%汲み取った日本語は、ひとつとしてあり得ない。「愛」?――実に安っぽい日本語である。

筆者プロフィール

泉山 真奈美 ( いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

編集部から

ポピュラー・ミュージック史に残る名曲や、特に日本で人気の高い洋楽ナンバーを毎回1曲ずつ採り上げ、時代背景を探る意味でその曲がヒットした年の主な出来事、その曲以外のヒット曲もあわせて紹介します。アーティスト名は原則的に音楽業界で流通している表記を採りました。煩雑さを避けるためもあって、「ザ・~」も割愛しました。アーティスト名の直後にあるカッコ内には、生没年や活動期間などを示しました。全米もしくは全英チャートでの最高順位、その曲がヒットした年(レコーディングされた年と異なることがあります)も添えました。

曲の誕生には様々なエピソードが潜んでいるものです。それを細かく拾い上げてみました。また、歌詞の要旨もその都度まとめましたので、ご参考になさって下さい。