歴史を彩った洋楽ナンバー ~キーワードから読み解く歌物語~

第66回 My Girl(全米No.1,全英No.2)/ テンプテーションズ(1960-)

2013年1月23日
66mygirl.jpg

●歌詞はこちら
//www.azlyrics.com/lyrics/temptations/mygirl.html

曲のエピソード

最初にお断りしておくと、この「My Girl」がレコーディングされたのは1964年で、リリースは同年の暮れだった。が、チャート圏内に顔を出したのは年が明けて1965年になってからなので、ここでは1965年の楽曲として扱うことにする。

モータウン黎明期を支えた多くのアーティストに、“超”が付くほどの人気女性シンガーがいた。彼女の名はメアリー・ウェルズ(Mary Wells/1943-92)。筆者にとって衝撃だったのは、モータウンの所属アーティストたちが“THE MOTOWN(もしくはMOTOR TOWN) REVUE”と銘打ったオムニバス・ショウが、ニューヨークはハーレムにあるブラック・ミュージックの殿堂アポロ劇場で行われた際、観客の若い男性がステージに駆け登ってメアリーに抱きつこうとしているのを警備員に制されている映像。しかも、大スターだった彼女のバックグラウンド・コーラスを務めていたのが、当時、まだヒット曲らしいヒット曲がなかったとは言え、何とテンプテーションズ(以下テンプス)だったのである! 筆者は今から30年ぐらい前に、かなり画質の悪いヴィデオでその模様を目にする機会があったのだが、「メアリー・ウェルズってアイドルだったんだなあ……」と、心底ビックリ仰天したものだ。

それから数年後、テンプスも人気が出始め、やがてはモータウンきっての人気ヴォーカル・グループとなる。あまり知られていないことだが、実はこの「My Girl」は、メアリーの全米No.1ヒット曲「My Guy」(1964/R&Bチャートでは何と7週間にわたってNo.1)へのアンサー・ソングだった。いずれの曲でも、スモーキー・ロビンソン(モータウン創設時の副社長で、ミラクルズというグループのリーダーだった人物/後にソロ・シンガーに転向)がペンを執っている。「My Guy」には馴染みがなくても、テンプスによるオリジナル・ヴァージョンもしくは他のアーティストによるカヴァーの「My Girl」を一度は耳にしたことがある、という人も多いのではないだろうか。また、子役で一世を風靡したマコーレー・カルキンが出演した同名映画(1991)のテーマ曲に起用されたことで、テンプスのオリジナル・ヴァージョンがリヴァイヴァル・ヒットしている。

ご参考までに、1980年代初期、アフリカン・アメリカン向け雑誌『EBONY』誌上において、“あなたの生涯を通じて一番好きな曲は何か”という読者アンケートが実施された際、堂々のNo.1の座を射止めたのが、テンプスの「My Girl」だったことを付記しておく(惜しくもNo.2はマイケル・ジャクソンの「Billie Jean」)。1965年当時、R&Bチャートでは6週間にわたってNo.1の座に就き、多くの人々に愛されたが、世代を超えて、今なお万人を魅了してやまない素晴らしい楽曲である。

曲の要旨

外が曇っていても僕の周りだけは太陽の光でポカポカ、外が寒くても僕だけは5月の陽気のような暖かさを感じていられるよ。そんな僕を見てみんなは不思議に思うだろうね。なぜって、僕には愛する彼女がいてくれるからさ。僕がこんな気持ちでいられるのは彼女のおかげなんだよ。彼女がいてくれるだけで、僕はうっとりした気分になれるし、思わず甘いメロディの歌を口ずさみたくなるんだ。彼女が僕のものでいてくれるから、僕には大金も地位も名声も要らない。僕をこんな気持ちでいられるのは、僕の愛する彼女のおかげさ。

1965年の主な出来事

アメリカ: アメリカ軍がヴェトナム戦争で北爆を強化。
  アフリカン・アメリカン指導者のマルコムXが演説中に銃殺される。
日本: いわゆる日韓基本条約が締結される。
世界: インドネシアでクーデターが失敗に終わる。

1965年の主なヒット曲

You’ve Lost That Lovin’ Feelin’/ライチャス・ブラザーズ
Stop! In The Name of Love/シュープリームス
I Can’t Help Myself/フォー・トップス
Mr. Tambourine Man/ザ・バーズ
Yesterday/ビートルズ

My Girlのキーワード&フレーズ

(a) the month of May
(b) Talkin’ ’bout my girl
(c) I don’t need no money

今から30年前の1983年3月25日、モータウンの創立25周年を祝う式典“Motown 25: Yesterday, Today Forever”が行われた。筆者はたまたま、そのTV中継を三沢基地内の日米友好クラブで知り合った家族の家で一緒に鑑賞したのだが、テンプスと人気を二分したフォー・トップスとの共演(競演)シーンは、取り分け印象深かった。最初はそれぞれのヒット曲を披露していたのだが、テンプスが「My Girl」を歌い始めると、フォー・トップスのリード・ヴォーカルだった故リーヴァイ・スタッブス(2008年死去)が、当時のテンプスのリード・ヴォーカルだったデニス・エドワーズと1本のマイクを分け合って、最初の部分を一緒に歌ったのである。モータウン・サウンドで育った筆者にとって、決して忘れ得ぬ感動的なシーンだった。そして筆者は、他人の家にいることも忘れて、テンプスが歌った「My Girl」のワン・コーラスをそらで歌い切ってしまったのである! 唖然とするその家の御主人(初老のアフリカン・アメリカン男性)。そして、絞り出すような声で筆者に訊いたものである。「……一体、君は今いくつなの?」(苦笑)。なので、“I was only three years old when My Girl was a huge hit!(「マイ・ガール」が大ヒットしていた頃、私はまだ3歳でしたよ)”と、年齢をハッキリと言わずにボカして答えておいた(笑)。それぐらい、筆者はモータウン・サウンドの楽曲の歌詞を子供の頃から数多く記憶してきた。無理やり自分に覚えさせたのではなく、毎日毎日、モータウン・サウンドの楽曲を聴いているうちに、自然に覚えてしまったのである。裏を返せば、モータウン・サウンドの歌詞は、子供にも解り易く単純なものが多かった(唯一の例外は、あのボブ・ディランをして「アメリカが生んだ最高の詩人」と言わしめたスモーキー・ロビンソンの歌詞/ところが「My Girl」は、スモーキー作にしては珍しく覚え易かった)。「My Girl」を聴くと、アフリカン・アメリカンのおじさんに怪訝な面持ちで年齢を訊ねられたことを咄嗟に思い出してしまう。

万人に愛される歌というのには、様々な理由と根拠があるが、何はともあれ、“覚え易い”ことが第一条件であろう。一度聴いたら忘れられないメロディと歌詞。そしてリズム。「My Girl」は、それらの全てを兼ね備えている。残念ながら、テンプスの歴代リード・ヴォーカルの中でも最も歌唱力に長けていたデイヴィッド・ラフィンとファルセット担当のエディ・ケンドリックスは、既に鬼籍に入ってしまっているが(前者は1991年、後者は1992年に死去)、テンプスの黄金期は、間違いなくこの両者がリード・ヴォーカルを二分していた時代である。テンプスにとっての初の大ヒット曲となった「My Girl」のリリースから、1968年にラフィンが脱退するまでの約4年間は、まさに奇蹟のような年月だった。

この歌詞は覚え易い、と先述した。が、いざ日本語に訳そうと思うと、これがなかなか面倒なのである(サスガは詩人のスモーキー!)。例えば(a)が登場するフレーズ。直訳すれば「外気が冷たくても、僕には5月がある」――はぁ?! 何ですか、それ? 実は筆者は子供の頃、ここのフレーズの意味がサッパリ解らなかった。長じて英語を学ぶようになり、ここが比喩だと気付いた。“May”には、「青春、人生における最も楽しい時期」という別の意味もあるが、ここでは「外が寒い時でも」に続くフレーズとして歌われているため、単純に「5月(のポカポカ陽気)」と解釈するのが妥当であろう。例えば日本語で、仲のいいカップルをからかう際の決まり文句に「まっ、お熱いですこと!」というのがあるが、(a)を含むフレーズからは、主人公の男性が愛する彼女とラブラブ状態でいることが判る。オッサンくさく言えば「いよっ、ご両人!」ってところか。そこを“April”としても良さそうなものだが、続くフレーズにある“say”や“way”と押韻するためには、どうしても“May”ではくてはならなかったのだろう。

洋楽ナンバーには、“I say 〜”や“I said 〜”,そして主語が欠落した“Say 〜”,“Said 〜”といったフレーズが頻出する。(b)もその類で、フレーズの頭には本来“I am”が付く。同フレーズを直訳するなら、「僕の彼女のことを言ってるんだよ」となるが、それは、その前にあるフレーズ「どうして僕がこういう気分になるかって?」と、第三者に向かって逆に質問をし、自問自答をしている箇所である。意訳すれば、「何たって彼女がいてくれるからさ」、「彼女の存在が僕をこんな心持ちにさせてくれるんだ」となるだろうか。とにかくこの男性は、彼女のことが愛おしくてしょうがないらしい(お熱いですこと……おほほ)。

二重否定=否定の強調の(c)は、またしてもエボニクス的言い回しで、通常の英語に書き換えるなら、以下のようになる。

♪I don’t need any money.
♪I need no money.

そして主人公の男性は歌う。「(彼女がいてくれるから)僕は、男が求めるこの世の全ての富を得たも同然」だと。こんな風に歌われたら、どんな女でも相手の男にコロッと参ってしまうことだろう。ここのフレーズを聴いただけでも、実に浮世離れしたラヴ・ソングであることが判る(だいたい、ラヴ・ソングの多くは浮世離れの傾向が強いが……)。

筆者が大学生の頃に中古レコード屋でやっと見つけて買った「マイ・ガール」の日本盤シングル(筆者が入手した中古シングル盤の定価は¥400/中古では確か¥3,000ぐらいしたはず)は、今でも宝物である。ジャケ写は見開きの2ページになっていて、あの当時にしては珍しく訳詞が載っており、何故だか訳詞家さんのお名前がない(社内仕事か?)。無記名であるのをいいことに、ここに少しだけ引用させて頂く。

♪どんよりと空がくもっている時でも/僕のハートの中には太陽が輝やいている/寒い木枯らしが吹いても/僕のハートは5月の陽気なのさ…(以下略/送り仮名は当時のママ)

筆者は「僕のハートは5月の陽気なのさ」の箇所にシビレた。今冬は全国的に厳しい寒さが続いているが、寒さに凍える人々のハートに、5月の陽気をもたらしてくれる人がそれぞれいてくれることを願ってやまない。

筆者プロフィール

泉山 真奈美 ( いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

編集部から

ポピュラー・ミュージック史に残る名曲や、特に日本で人気の高い洋楽ナンバーを毎回1曲ずつ採り上げ、時代背景を探る意味でその曲がヒットした年の主な出来事、その曲以外のヒット曲もあわせて紹介します。アーティスト名は原則的に音楽業界で流通している表記を採りました。煩雑さを避けるためもあって、「ザ・~」も割愛しました。アーティスト名の直後にあるカッコ内には、生没年や活動期間などを示しました。全米もしくは全英チャートでの最高順位、その曲がヒットした年(レコーディングされた年と異なることがあります)も添えました。

曲の誕生には様々なエピソードが潜んでいるものです。それを細かく拾い上げてみました。また、歌詞の要旨もその都度まとめましたので、ご参考になさって下さい。