仮名書きされる常用漢字・漢字で書かれる表外字
常用漢字表における「鬱」と「朕」「璽」などとは、互いに対照的な存在である。「鬱」は、ほとんどの場合に仮名書きされている常用漢字である。あるクリニックの広告チラシに、「うつ病」「躁うつ」とあった。「躁鬱」の「躁」は、常用漢字外の、いわゆる表外漢字である。本来ならば、「鬱病」「そう鬱」と書かれるはずである。「鬱」は、常用漢字とされて以降も漢字書きされている例を見ることはほとんどない。読めない、書けないということなのであろう。このため、読まれる必要がある場合には、仮名書きされているようである。
今日では、パソコンを使った日本語の文章作成も広く見られるが、一般家庭にまで広く浸透しているわけでもなさそうである。このため家庭では、この字を書いたり読んだりする習慣はほとんどないであろう。
「鬱」は、「憂鬱」「鬱々として」「鬱屈」「鬱積」「鬱蒼」「鬱陶しい」「鬱憤」などの語の表記に用いられるものであり、語としてはさほど特殊ではない。しかし、「鬱」字を書くのは大変厄介である。恐らく辞書を見ながらでもなかなか書けないであろう。ましてや筆順などはおぼつかないに違いない(「筆順指導の手びき」にはないが、同じ著者による『漢字筆順ハンドブック』(三省堂)には見える)。一般に読める字は書けるが、読めない字は書けない。当然、書けない字は読めないのである。しかし、「鬱」は、何か手本を見るなどして、仮に書けたとしても読めない場合が少なくないであろう。
一方、「躁」は、常用漢字ではない上に、元々余り使用されない漢字である。広告主は、「躁うつ うつ病」という表記上の対比を考えて作成したのであろうが、それにしても、常用漢字を仮名書きにし、表外字を漢字書きにするというのは、一般的に考えて、具合が悪い。
他方、常用漢字なのに使われていないと一般に考えられている漢字もある。「朕」と「璽」である。この二字は、現在の「常用漢字表」の前身である「当用漢字表」に含まれていたもので、今日の「常用漢字表」に引き継がれたものである。しかし、実際に使用されている例を見ることはほとんどない。当時、文部省は、「新憲法の漢字は、全部これを含めることにしましたので」(『国語問題回答』国語シリーズ14)としている。この二字は、憲法本文に見られるものではなく、附属文書に見られる。したがって、実際に使用されていることを確かめるためには、新刊書を扱う一般的な書店の店頭に置いてある六法全書ではなく、第一法規出版等で発行している、加除式の非常に大部(図書館の書棚2段分くらいの分量がある)の法令集で確認する以外にはない。なお、総務省がWEB上に公開している「法令検索システム」所収のものにも含まれていない。このため憲法では使われていないと誤認しやすいのである。しかし、この二字は、国立国語研究所、その他の箇所で行われてきた、大量の漢字使用調査報告書を見ると、わずかではあるが使用例がある。また、ないという俗説を信じたのかもしれないが、日本文芸家協会が、毎年度編集し、出版社から出版している、前年度に発表された小説の傑作選集のうち、短編小説集に収められた作品の中には、使用例をみることができる。この二字は敬語の一種で、一般には使いにくいものであるので、中国の皇帝と皇帝の存在していた時代とに設定し、書かれている。意図的な使用とみて良さそうである。