漢字雑感

第2回 正しい筆順・間違っている筆順とは

筆者:
2015年5月11日

筆順が違っているとか筆順が正しいとかという言葉を聞くことは多い。しかし、正しいとか間違っているとかという基準は本当にあるのだろうか。想像してみるに、旧文部省が昭和33年に刊行した『筆順指導の手びき』を基準に、正しい、間違っていると勝手に判断しているように思われる。この「手びき」を正確に読んでいるのではなく、同書に掲載されている、本文である「当用漢字別表の筆順一覧表」のみを見て、判断しているものと想像される。いってみれば、この「手びき」を誤解していると言っても良い。同書「本書のねらい」に記されているように、筆順は幾通りもあり、どれが正しいとか間違っているとかというものではない。「手びき」はそのうちの一つを取り上げ、解説しているのである。このことは、「本書のねらい」に次のように書かれていることからも明白である。

本書に示される筆順は、学習指導上に混乱を来たさないようにとの配慮から定められたものであって、そのことは、ここに取り上げなかった筆順についても、これを誤りとするものでもなく、また否定しようとするものでもない。

(7ページ)

「必」の字

多くの人々は、この部分を読むことなく、「一覧表」のみを見て独断しているのである。この結果、間違ってはいない筆順までも、「手びき」に掲げられていないということから、間違った筆順と誤認され、「手びき」に掲げられている筆順のみが正しいとされ、今日に至っているのである。世に言う、いわゆる「正しい筆順」というのは「手びき」に掲載されているもののみとなってしまったと言って良い。たとえば、「必」字を「心」と書いた後「ノ」を書く筆順は、完全に否定されてしまったのである。しかし、小学校等で漢字辞典を使用することを指導された人々は、まず「心」の部分に目がいくであろう。部首の点からも「必」字は、心部にある。世に言う「正しい筆順」通りではない子どもたちも少なくないものと思われる。これを誤りとされ、半ば強制的に、「手びき」の筆順に統一されてしまっているのである。

正しい、正しくないは、人為的に定められた基準に合致するか否かによって決まってしまう。柔軟な対処の仕方を身につけておかないと、示された一つの基準のみが正しいと思い込む結果になる。しかし、示された基準以外にも正しいものがある。特に現代社会においては、その存在を見極める柔軟さ、総合的、大局的に判断できる能力を身につけることがきわめて重要になっているのではないだろうか。正解は一つではない場合も少なくないからである。

筆者プロフィール

岩淵 匡 ( いわぶち・ただす)

国語学者。文学博士。元早稲田大学大学院教授。全国大学国語国文学会理事、文化審議会国語分科会委員などを務める。『日本語文法』(白帝社)、『日本語文法用語辞典』(三省堂)、『日本語学辞典』(おうふう)、『醒睡笑 静嘉堂文庫蔵 本文編』『醒睡笑 静嘉堂文庫蔵 索引編』(ともに笠間書院)など。

編集部から

辞典によって部首が違うのはなぜ? なりたちっていくつもあるの? 編集部にも漢字について日々多くのお問い合わせが寄せられます。
この連載では、漢字についての様々なことを専門家である岩淵匡先生が書き留めていきます。
読めばきっと、正しいか正しくないかという軸ではなく、漢字の接し方・考え方の軸が身につくはずです。
毎月第2月曜日の掲載を予定しております。

この回に出てくる『筆順指導の手びき』は、戦後の国語施策のなかで行われていったものです。そのあたりをひもとくべく、昭和20年代の漢字政策周辺のことを、号外として近日公開予定です。
5/25追記:公開いたしました。⇒漢字雑感 第2回号外 『筆順指導の手びき』