2015年6月7日の『朝日新聞』の読書欄で、星野智幸が採りあげていた、谷川直子の『四月は少しつめたくて』(2015年、河出書房新社)を入手した。「自分の言葉を取り戻すために」という新聞の見出しも印象的だった。入手してそのままになっていたのだが、2017年3月4日に読み始めた。読み始めて少しすると次のような行りがあった。
ファッションの世界にだって芸術的な採算度外視のショーはあるけれど、ちゃんとうまくあとでそれを帳消しにするような商品が出る。出なければメゾンが立ち行かなくなっておしまい。つまり、デザイナーは芸術家でありながら売り物になる商品の素(もと)をつくり出しているということで、詩が売り物じゃないなら、そこがデザイナーと詩人の決定的な違いだ。(15~16ページ)
この「メゾン」がわからなかった。『日本国語大辞典』には次のようにある。
メゾン〔名〕({フランス}maison)《メーゾン》家。住居。
そして、「外来語辞典〔1914〕〈勝屋英造〉「メーゾン Maison(仏)家」」及び「亜剌比亜人エルアフイ(改作)〔1957〕〈犬養健〉五「聖心会附属の療養院を訪ねた。十八世紀のメゾン風の、趣味のいい建物である」が使用例としてあげられている。この見出しにおいては、「メゾン」という外来語が採りあげられているが、そこにあげられている使用例からすれば、どちらかといえば、現在から50年以上隔たった時期における「メゾン」の「使用状況」が記されていることになる。
「新語に強い」ことを帯で謳う『三省堂国語辞典』第7版で「メゾン」を調べてみると、意外なことに見出しとして採用されていない。そこで『コンサイスカタカナ語辞典』第4版(2010年、三省堂)を調べてみると、そこには次のように記されている。
メゾン[フ maison(家) <ラ manere(留まる)]①(サロン風の)高級食堂.〈大〉★この語義はフランス語にはない. ②家,住宅. 特に日本ではマンションの名につけて用いる.〈現〉③商社. 商店. 特にオート-クチュールの洋装店.〈現〉
この辞典の冒頭に置かれている「使用上の注意」の「略語表」によれば、〈大〉は「大正時代」、〈現〉は「昭和21年以後,平成」ということだ。今回は「さまざまなメゾン」というタイトルをつけたが、筆者は次のような「メゾン」を思い浮かべていたからだ。
大正16年(昭和2年)1月1日発行の『近代風景』第2巻第1号に「パンの会の思ひ出」という総題のもとに、木下杢太郎の「パンの会の回想」というタイトルの文章が載せられている。「パン(Pan)」はギリシャ神話に登場する牧神のことで、「パンの会」は1910年前後に、青年芸術家たちが新しい芸術について語り合うことを目的としてつくられた会だった。東京をパリに、隅田川(大川)をセーヌ川に見立てて、月に数回、隅田河畔の西洋料理屋に集まっていた。「パンの会の回想」には次のようにある。引用は『木下杢太郎全集』第13巻(1982年、岩波書店)に拠る。
当時カフエエらしい家を探すのには難儀した。東京のどこにもそんな家はなかつた。それで僕は或日曜一日東京中を歩いて(尤も下町でなるべくは大河が見えるやうな処といふのが註文であつた。河岸になければ、下町情調の濃厚なところで我慢しようといふのであつた。)とに角両国橋手前に一西洋料理屋を探した。(略)
その後深川の永代橋際の永代亭が、大河の眺めがあるのでしばしば会場になつたのである。
また遥か後になつて小網町に鴻の巣が出来「メエゾン、コオノス」と称して異国がつた。
上の「メエゾン、コオノス」の「メエゾン」は『コンサイスカタカナ語辞典』の①に語義も使用時期もあてはまる。しかもフランス語の「maison」にない語義であるということであるので、『日本国語大辞典』は、できればこの語義、そして杢太郎の使用例をあげておいてほしいと思うのは欲張りだろうか。
大正16年は西暦でいえば1927年で、今から90年ほど前になる。現在からみた大正時代は、「歴史」としてとらえるのにはまだ現代と近すぎるのかもしれない。大正時代の日本語についての研究はこれから、という面がある。『日本国語大辞典』の第3版がいつ出版されるかはわからないが、その時には大正時代の日本語についての補いがされると、『日本国語大辞典』はいっそう充実したものになるだろう。『コンサイスカタカナ語辞典』の②も、「うんうん」というところではないだろうか。最近はそれでもそうしたマンション名は減ってきているかもしれない。さて、③である。これが冒頭にあげた『四月は少しつめたくて』の「メゾンが立ち行かなくなっておしまい」の「メゾン」にあてはまる。筆者ぐらいの年齢の男性であると、「オートクチュール」もすぐには日本語に言い換えにくいかもしれない。高級洋装店ぐらいか。
カタカナ語というと、「アカウンタビリティー」「コンプライアンス」「ガバナンス」「インタラクティブ」「イノベーション」など、すぐに語義がわかりにくい語の使用が増えていることが話題になり、そのことについて論議される。そういうこともあるが、外来語、カタカナ語にもそれぞれの歴史が当然ある。ちなみにいえば、『日本国語大辞典』は「インタラクティブ」と「イノベーション」は見出しにしており、他の3語はしていない。『コンサイスカタカナ語辞典』第4版はすべて見出しとしている。この『コンサイスカタカナ語辞典』は1994年に初版が刊行されているが、その初版においては、「ガバナンス」が見出しとなっていない。やはりカタカナ語にも歴史がある。
現代作家の小説を読むことはこれまで必ずしも多くはなかった。しかし、『日本国語大辞典』をよむようになって、現代の小説に使われているような語はどのくらい見出しになっているのだろうとか、現代の語義は記述されているだろうか、などと思うようになり、少しずつであるが、読んでみることにした。『日本国語大辞典』は「意識改革」もしてくれる。
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