「ゆるキャラ」について最後に述べておきたいのは,商標登録されていない語「ゆるキャラ」の存在である。
犬山(2012: 16)によれば,「ゆるキャラ」という語は2004年11月26日に,みうらじゅん氏と扶桑社の連名で商標登録されたという。このことが意味するのは,「ゆるキャラ」という語を商売に利用する場合は,しかるべき商標管理会社に申請し,語の使用料を払わねばならないということである。(但しみうら氏の意向により,地域振興を目的とする場合は使用料は免除されるという。)
「ゆるキャラ」を語るに際して,私が真っ先にみうら氏の定義を挙げ,これを尊重しようとするのは,この商標登録のせいではない。それは,みうら氏が,この語(そして世の中の新しい楽しみ方)を作られ広められたからである。前回も述べたように,地方ゆえのゆるさは蔑まれ疎んじられるのが普通であり,それを「ゆるキャラ」として楽しむという道は,みうら氏によって切り開かれたと言える。私はみうら流の定義を尊重し,「ゆるキャラ」という語に「地方ゆえのゆるさを持ったキャラクタ(人物)」という意味があることを積極的に認めたい。
だが,こうした尊重は絶対的なものではない。なぜならば,語は創造者1人だけのものではないからである。ちょうど「古い新聞」から「古新聞」を作り,「長いズボン」から「長ズボン」を作ったのと同じように「ゆるいキャラ」から「ゆるキャラ」を作る,という無数の日本語母語話者たちの自然な語形成を押しとどめることは誰にもできない。この語「ゆるキャラ」は商標登録されておらず,誰でも自由に発することができる。みうら氏自身,犬山秋彦・杉元政光によるインタビューの中で,この意味の「ゆるキャラ」という語を次の(1)のように発している。
(1) 「将来,ゆるキャラになりたいなあ」なんて誰も思わんでしょ。でも,「しょうがないなあ,こいつは」っていうとこにホッとすんだよね。 [みうらじゅん特別インタビュー,犬山秋彦・杉元政光『ゆるキャラ論:ゆるくない「ゆるキャラ」の実態』p. 392,ボイジャー,2012]
ここでみうら氏が発している「ゆるキャラ」は,地方性とは無縁であり(そう考えなければ「将来,ゆるキャラになる」という語句は意味不明になってしまう),「ゆるいキャラクタ」の意味と考えられる。
90年代後半に一世を風靡したキャラクタ「たれぱんだ」を「ゆるキャラ」と呼ぶことを,犬山氏は「明らかな誤用」「間違い」と断じられている(犬山秋彦・杉元政光『ゆるキャラ論:ゆるくない「ゆるキャラ」の実態』, pp.11-12, ボイジャー, 2012)。この判断は,みうら氏の定義(地方ゆえのゆるさを持ったキャラクタ(人物))にしたがうなら,「たれぱんだ」には地方性がないので正しいということになる。だが,「ゆるいキャラクタ」を表す一般の合成語と考えるなら,結果はまた違ってくるだろう。
もちろん,語「ゆるキャラ」が商売に利用される際には,みうら氏の定義だけが通用するということになるのだろう。だが,一般の言論においては,語「ゆるキャラ」には以上に記した2つの意味を認めるべきではないだろうか。