日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第97回 「ゆるキャラ」について(終)

筆者:
2015年10月25日

「ゆるキャラ」について最後に述べておきたいのは,商標登録されていない語「ゆるキャラ」の存在である。

犬山(2012: 16)によれば,「ゆるキャラ」という語は2004年11月26日に,みうらじゅん氏と扶桑社の連名で商標登録されたという。このことが意味するのは,「ゆるキャラ」という語を商売に利用する場合は,しかるべき商標管理会社に申請し,語の使用料を払わねばならないということである。(但しみうら氏の意向により,地域振興を目的とする場合は使用料は免除されるという。)

「ゆるキャラ」を語るに際して,私が真っ先にみうら氏の定義を挙げ,これを尊重しようとするのは,この商標登録のせいではない。それは,みうら氏が,この語(そして世の中の新しい楽しみ方)を作られ広められたからである。前回も述べたように,地方ゆえのゆるさは蔑まれ疎んじられるのが普通であり,それを「ゆるキャラ」として楽しむという道は,みうら氏によって切り開かれたと言える。私はみうら流の定義を尊重し,「ゆるキャラ」という語に「地方ゆえのゆるさを持ったキャラクタ(人物)」という意味があることを積極的に認めたい。

だが,こうした尊重は絶対的なものではない。なぜならば,語は創造者1人だけのものではないからである。ちょうど「古い新聞」から「古新聞」を作り,「長いズボン」から「長ズボン」を作ったのと同じように「ゆるいキャラ」から「ゆるキャラ」を作る,という無数の日本語母語話者たちの自然な語形成を押しとどめることは誰にもできない。この語「ゆるキャラ」は商標登録されておらず,誰でも自由に発することができる。みうら氏自身,犬山秋彦・杉元政光によるインタビューの中で,この意味の「ゆるキャラ」という語を次の(1)のように発している。

(1) 「将来,ゆるキャラになりたいなあ」なんて誰も思わんでしょ。でも,「しょうがないなあ,こいつは」っていうとこにホッとすんだよね。

[みうらじゅん特別インタビュー,犬山秋彦・杉元政光『ゆるキャラ論:ゆるくない「ゆるキャラ」の実態』p. 392,ボイジャー,2012]

ここでみうら氏が発している「ゆるキャラ」は,地方性とは無縁であり(そう考えなければ「将来,ゆるキャラになる」という語句は意味不明になってしまう),「ゆるいキャラクタ」の意味と考えられる。

90年代後半に一世を風靡したキャラクタ「たれぱんだ」を「ゆるキャラ」と呼ぶことを,犬山氏は「明らかな誤用」「間違い」と断じられている(犬山秋彦・杉元政光『ゆるキャラ論:ゆるくない「ゆるキャラ」の実態』, pp.11-12, ボイジャー, 2012)。この判断は,みうら氏の定義(地方ゆえのゆるさを持ったキャラクタ(人物))にしたがうなら,「たれぱんだ」には地方性がないので正しいということになる。だが,「ゆるいキャラクタ」を表す一般の合成語と考えるなら,結果はまた違ってくるだろう。

もちろん,語「ゆるキャラ」が商売に利用される際には,みうら氏の定義だけが通用するということになるのだろう。だが,一般の言論においては,語「ゆるキャラ」には以上に記した2つの意味を認めるべきではないだろうか。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。