『大漢和辞典』は、私にとってこの研究の世界に入る大きな原因を作ってくれた辞書だ。13巻にも及ぶ大部の漢和辞書であり、そこに難字が詰め込まれているのであるから、多少の瑕瑾があるのは当然だが、少年の頃には神々しく感じられ、漢字の世界へといざなわれた。今でも、中学生の頃にこれを買った、全部読んだなどという若者に会うと、ついつい声をかけてしまう。
5万字以上が収められた、その威容を誇る辞書には、それぞれの漢字や熟語に数多くの出典が用例文などとともに掲げられている。その中には、膨大な漢籍から適切な例を見付け出してきたものがある一方で、残念ながら時代の制約もあって孫引きされたような箇所もなくはないことが知られている。
ともあれ、いわゆる漢字文化を検討する際には、避けて通ることのできない、東アジア、いや世界共有の一大文化財となっている。中国の研究者も、『大漢和辞典』が引けるようになるために、日本語を学習したという話も聞いた。
韓国でも、これを基に、これを超えようとして大型辞書がいくつか編纂された。
『漢語大字典』『漢語大詞典』のような中国の大型辞書ができた今でも、『大漢和辞典』と互いに引き比べると、補い合う記述が少なからず見つかる。
この『大漢和辞典』の編纂過程を共同で追っている。ある方の紹介のお陰で、戦前から戦後にかけて、伝説ともなっているこの大作に費やされた刻苦の跡を、微かに、そして奇跡的に残っている物から確認をしているのである。
その5万字の中に、まれに出典名が記されていない項目がある。それらには、かえってその字がどういう歴史的な背景を持つ字なのかという興味をそそられる。むしろこの大著の編纂過程の秘密を垣間見るきっかけを与えてくれる可能性があるものだ。
個々の漢字の読みを見ていると、「パ」という信じがたいものだけが日本の字音のようにして示されている「(イ+閃)」という項目がある(中国語音はウェード式の綴りでpa1、すなわちピンイン式ではba1 パー)。第1巻897ページ(1001番)、人部の10画の最後に吹き溜まりのような箇所に置かれていて、意味も、
二人が初めて相會ふ意を表はす。
という。そんなところから、編纂時にふざけて造られ、入れられた字ではないか、1字くらいそういうものがあるのでは、と述べる、この辞書にたいへん詳しい方もいらした。ソフトウェアに隠されたイースターエッグのようなものか。あるいは複写防止のためのダミーなのか。
ある日、原田種成氏によるこの大辞典に関する後年の述懐を読んでいたところ、ある時期、原稿に、『最新支那語大辞典』を取り込んだ、という一節に触れた。『大漢和辞典』の後書きなどの編纂工程に関する記述を具体化してくれるものとして、これは、とピンと来た。
早速、石山福治編『最新支那語大辞典』(第一書房 1935年初版)を、古書店に注文し、さらに図書館でも調べてみると、新字をも採用していたその中国語辞典の紙面上にそれを見つけ得た。やはりこの「パ」という僻字は実はもとはそこにあったのであった。音は「ハ」となっているが、paという中国語の発音もローマ字で書かれていて、字義も等しかった。
『大漢和辞典』は、新しめの辞書としては『中華大字典』『辞海』『辞源』『続辞源』までは書名を出してたが、その他の編著書名は示さなかったのだ。こういう使用例・他での収録例の乏しい字は、やはり辞書編纂・生成の秘密を解く突破口の一つとなり得るのである。
なお、「(門+人)」という字は、「急にとびだして人を驚かせるこえ」などという長い訓読みということで話題になることも多い。ただそれは実際には、漢文を訳したことによる説明的な語義に過ぎず、宋代の華南地方で使われた会意の俗字で、江戸時代にすでに面白がられ、やはり人を驚かす声で「ももんぐゎ」とも読まれた。かつて卒業論文を書く際に、古書の海に追い求めた漢字であった。
この字は、パの字と字義で少し関係がありそうだが、字音はコク・ワクで遠い。ただこれも「閃」が基になっているに違いなく、この字の発生と使用に関連をもつ可能性はある。