昨年、東アジア内で種々の国際問題が表面化し、先鋭化する中、初めて韓国の済州島、現地読みでチェジュ(제주)島に向かった。
そこはローマ字ではよくJejuと綴るが、ジェジュよりもチェジュの方が原音に近い。韓国語では語頭に濁音が立たず、語中の清音(s音や濃音という発音などをのぞく)は自然に濁音化する。韓国のお好み焼き風の食品「チジミ」が「チヂミ」(지짐、찌짐)という仮名遣いでほぼ定着したのは、「縮み」と同様に同音の連呼による連濁とみなされた結果かと思われる。
日本で、同じハングルが連続することがどこまで意識された結果だろうか。ともあれ、その現代仮名遣いは和語や漢語に適用されることは内閣告示・訓令で決まっているものの、外来語に適用されるものではなかったはずだ(別の内閣告示・訓令がある)。この先例にならえば、この島の名もカナ表記は「チェヂュ」となりそうなものだが、一貫しないのは日本の常である。その料理名は、ひらがなでも「ちぢみ」を見かける。
成田のターミナルがどこになるのか、当日まで分からないというのも困る。早朝すぎてネットでもまだ出ていない。
どうにか着いた成田空港では、場内で、
深セン空港
とゴシック体で電光掲示板に表示されていた。「(土+川)」という広東語の方言漢字がJIS第2水準に入らなかった影響は根深い。
エスカレーターには、
非常停止釦
とある。東京駅、新宿駅でもこの「釦」は用いられていた。
飛行場内では、多言語表示が見られる。
1층(層) 1楼 1階
これらは、「1F」ならば十分用途を足す。上記の韓国、中国、日本の各国語の漢字によるいずれの読みも可能なのである。第180回で韓国での使用に触発されてざっと触れたが、日本でもよく見られるものなので、ここで改めてより詳しく書こう。漢字にばかり、読みの自由さが指摘されるが、ローマ字だって場面によっては表意文字のように機能する。
表音文字が表意文字として機能するのである。韓国語では「層」(chheung チュン)だが、中国語も「楼」(lou2 ロウ)のほか「層」(ceng2 ツォン)でも構わないそうだ。数字の表意性、超言語性の影響で、続くローマ字という表音文字までが記号のようになっているのか。あるいはローマ字が特定の文脈においては漢字的に使われ、文字がいきなり語義と結合して、読みのようにも見えるが、あくまでも意味と考えるとよいのか。ただの臨時の読みというには普遍的である。欧米人も、英語は当然だが、各国語で読むそうだ。
心内での音声化、発話が多いのだろうが、もちろん読み上げも行われる。あるいは「F」は、漢字圏では漢字の代用と見るべきだろうか。語から見ると音読みだが、文字から見ると本来の読みから逸脱しており、その意味では「訓読み」といえる。日本語でいう訓読みは、和語という固有語などを出自とし、それを漢字にあてがって読む方法と読み方のことであった。漢文訓読がその原点であったと推測される。
そこから外来語、さらに別の漢語出自の語での読みまで指すようになっている。漢字で本来的な読みではない読みを方言などであてがうことを中国でも「訓読」と読んでいる。読み方で「1F」を「1階」と読むのをどうとらえるかは、その観点によって変わってくる。