20年以上前に、大修館書店からもらった綺麗なパンフレットに、『大漢和辞典』は、東洋の漢字を網羅した、というような文句が記されていた。東洋文化に関する情報を収めた一大事典としての意味があるとそこで謳われており、収録漢字などの面からはやや大げさな気もしていたが、実際に中国や日本の漢字、漢字熟語などのほかに、朝鮮や越南の王朝の皇帝の名や主な地名は熟語欄に収録されていた。
そこには、おそらく避諱に配慮したり、同世代を表す輩行字を選んだり、五行相通を願って部首を行列字として順に付けていったり、一族を表す部首を通字・系字のように選んだりしたためであろうが、なんらかの部首の付いた独特な人名用の漢字が散見される。しかし、あくまでも固有名詞の中の字であり、見出し字に来ることはまずない。『字彙補』辺りが文献から律儀に引いてきたものは、辛うじて載っている、という程度である。
『大漢和辞典』は、見出しにはない字であっても、中身をよく見ていくと、部分的ながら、朝鮮の国字も確かに載っていたのである。「田」の「参考」に、朝鮮では「(水×田)」と書く、という注記がなされている。『大漢和辞典』を眺めていた頃に気付いたことの一つだ。編纂時には、漢字に関するさまざまな知識を持った人たちが携わっていたことが、こういう一事からもうかがえる。
これは、写真植字で印刷をする段階では、作字をしていたのであろうから、そのまま拡大をして見出しにも立てても良さそうなものだった。
この記載は、諸橋轍次記念館に保管されている『大漢和辞典』の校正刷り2種のうち初めの段階、つまり戦前の段階から存在していたのであった。思えば、この当時、植民地となっていた朝鮮の国字である。もちろん見出しにないこともあって「国字」というマークを打ってはいない。どのような価値をここに見いだし、どうしてこの項目の中に埋没させることを選んだのだろうか。
「(馬+卜)」という形声文字は、朝鮮より先に植民地となっていた台湾で行われた造字のようで、「台湾で特殊の船をいふ(いつた)」とある。他書にはそれらしきものを指す同様の発音の語はある。本書の独自の立項だが、「國字」とマークを入れている。台湾の人も編纂に携わっており、そうした人が原稿に書き込んだ結果かと推測される。
「(水×田)」の記述がその後、校正を経て、「国訓」の付録のような扱いから、「参考」へと移動し、音読み情報などが少し変わっているのは、この間にも、すでに散逸した編纂用のゲラなどの資料があったことを示す。ともあれ刊行される最後の段階まで、この目立たない部分が削除されずにバトンタッチされ続けたことに感服する。
こういう漢字に関する蘊蓄が、「回」という字の中でも「参考」に注記されている。魯迅の小説『孔乙己』の中で、茴香豆の「回」には4通りの書き方があると語られるシーンがあるのだが、それらは、と具体例を示して推測が記されている。そのうちの『宋元以来俗字譜』から引かれる俗字「(囗+中に丨丨丨)」などは、見出しに立っておらず、補遺にも掲げられないものだった。
これは、少なくとも魯迅のこの作の発表(1919年、これを収録した『吶喊』刊行は1923年)以後に、編纂に携わった誰かが書き加えたものであろう。この俗字を実際に魯迅が想起したかどうか、それは定かではない。ただ言えることは、校正刷りの段階では、新旧いずれにもまだ書き込まれてさえいない記載であった。