「ゆるキャラ」の,地方ゆえのゆるさというものは,たとえば次の(1)の秋山氏のように,否定的にとらえられるのが世間の常識だろう。
(1) キティの生みの親である清水さんも,美大で絵を学んだ人でした。その造形について,ちゃんと学んでいる。キャラクターは一見シンプルで簡単に見えますから,“誰でも描ける”と思いがちです。だから時々,田舎の町で“我が町のキャラクターを作ろう”というコンクールを開催したりする。募る側も,応募する側も安易に考えていますが,実際に集めてみると,とんでもないものしか集まらない。“いやいや困ったなあ”となるわけです。 [秋山孝『キャラクター・コミュニケーション入門』p.153, 角川書店, 2002]
このゆるさを敢えて楽しもうとするところは,みうら氏の真骨頂と言うべきだろう。最近のいわゆる「ゆるキャラ」がゆるくデザインされていないことを理由に「ゆるキャラはもう終わっている」と氏がインタビューの中で嘆かれているのは(犬山秋彦・杉元政光『ゆるキャラ論:ゆるくない「ゆるキャラ」の実態』p. 390,ボイジャー,2012),「ゆるキャラ」のゆるさを重視すればこそである。
みうら氏にこのインタビューをおこなわれたはずの犬山氏が,着ぐるみという形態にこだわられるどころか,この「ゆるさ」の面を無視し,「ゆるキャラ」を地方性の面だけで語られているのは,したがって不可解と言わざるを得ない。犬山(2012)では,「ゆるキャラ」は次の(2)のように定義されている。
(2) 「ゆるキャラ」の定義とは,いったい何なのか?
説明するのは意外と難しい。ひと言で表現するなら「特定の地域を宣伝するために製作されたキャラクター」ということになるだろう。[犬山秋彦「はじめに ゆるキャラとは何か」犬山秋彦・杉元政光『ゆるキャラ論:ゆるくない「ゆるキャラ」の実態』p.11, ボイジャー, 2012]
犬山氏がみうら氏の定義をご存じないはずはない。だが,「本来の定義」としてみうら氏の定義(3)を引用するに際して,
(3) ゆるゆるのキャラクターを「ゆるキャラ」と呼ぶことにした。ちょっと待って,ゆるキャラの皆さん,怒らないでよく聞いて。
ゆるキャラとは全国各地で開催される地方自治体主催のイベントや,村おこし,名産品などのPRのために作られたキャラクターのこと。特に着ぐるみとなったキャラクターを指す。日本的なファンシーさと一目見てその地方の特産品や特徴がわかる強いメッセージ性。まれには,郷土愛(ラブ)に溢れるが故に,いろんなものを盛り込みすぎて,説明されないと何がなんだか分からなくなってしまったキャラクターもいる。キャラクターのオリジナリティもさることながら,着ぐるみになったときの不安定感が何とも愛らしく,見ているだけで心が癒されてくるのだ。[みうらじゅん『ゆるキャラ大図鑑』pp.2-3, 扶桑社, 2004]
犬山氏は(3)の第2段落の第1文と第2文のみを挙げ,第1段落を無視されている(犬山 2012: 13)。もしそれが,みうら氏の挙げる「ゆるさ」が「主観的で曖昧なもの」で「数値化はもちろんのこと,客観的な評価基準を示しにくい」(p.14)からだとしても,「(みうら氏の――定延注)定義などはじめから存在しないのだ」(p.15)とされるのは,どうにもいただけない。辞書作りに興味を持っていたり,ことばの意味を定義する作業に慣れ親しんでいたりするこのwebページの読者には,「主観的で曖昧で客観的な評価基準を示しにくいから定義は無効」という論理の不当性は改めて説明するまでもないだろう。(さらに続く)