日本語・教育・語彙

第5回 日本語教育の民主化と語彙(5):アイデンティティと語彙

筆者:
2016年1月29日

第二言語の習得にはアイデンティティが関係していると言われる。

料理やサッカーやダンスなどの活動は、そういった活動が好きな人たちにとっては、優れた言語学習活動にもなり得る。それは、前回書いたように言葉が文脈化されるということもあるが、それに加えて参加者のアイデンティティに関係することであるからだと思う。

杉原(2003)は、会話分析の手法で、会話参加者を「日本人/外国人」のようにカテゴリー化してしまいやすい質問として、「日本では……ですが、○○ではどうですか」というように文化や国籍に基づく質問と「日本語では……」と日本語使用について指摘することの2種類を指摘した。これらはいずれも日本語教育の場でも頻繁に見られる場面である。杉原はこの2種類をすべて避けるべきだとは言っていないが、一人ひとりの多様なアイデンティティが現れるような会話も含まれるべきであると述べている。

誰でも性別、年齢はもちろん、趣味、専門、仕事、家族内での地位、母文化など多様なアイデンティティをもっている。そういったものが教室の場で浮かび出ることにより、学習者は委縮せずに自分らしさを出せるようになってくる。日本語学習者を「ただの日本語学習者」に押し込めていてはいけないのである。学習者はただ日本語学習者であるだけでなく、同時にアニメオタクであったり環境科学の研究者であったりもするのである。料理の好きな人は料理で交流することで自分を表現できる。例えば私が日本語の通じないところへ行けば言語的にはマイノリティ(少数者)になるが、同時に野球と将棋と歌が好きで、英語と中国語を話す応用言語学者で日本語教師で、夫で、父親で、名古屋出身で、阪神タイガース・ファンで……という具合にアイデンティティが層をなして重なっている。例えば英語を話すのに四苦八苦しているときに野球の話で盛り上がることができれば、私は「外国人」の地位を脱出し、野球ファンとして相手とつながれるのである。

前回と今回は、コミュニケーションを言葉に頼りすぎないほうがよい場合があるということを書いた。人と人とが結びつくためには、学習者を学習者の地位に押し込めず、多様なアイデンティティを引き出すことが大切である。言葉が十分に使えないのであれば、言葉以外につながれる何かを探せばよい。そこで言葉が文脈化されていけば言葉が身についてくる。言葉を使う場合、音声や文法以上に、語彙が直接に人間のアイデンティティに関わり得るということは自然に理解されるであろう。それは語彙が音声や文法以上に直接に意味を担っているからである。

 

参考文献

杉原由美(2003)「地域の多文化間対話活動における参加者のカテゴリー化実践―エスノメソドロジーの視点から―」『世界の日本語教育』13、国際交流基金日本語国際センター
http://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/archive/globe/13/001__018.PDFで閲覧可能)

筆者プロフィール

松下 達彦 ( まつした・たつひこ)

東京大学グローバルコミュニケーション研究センター准教授。PhD
研究分野は応用言語学・日本語教育・グローバル教育。
第二言語としての日本語の語彙学習・語彙教育、語彙習得への母語の影響、言語教育プログラムの諸問題の研究とその応用、日本の国際化と多言語・多文化化にともなう諸問題について関心を持つ。
共著に『自律を目指すことばの学習―さくら先生のチュートリアル』(凡人社 2007)、『日本語学習・生活ハンドブック』(文化庁 2009)、共訳に『学習者オートノミー―日本語教育と外国語教育の未来のために』(ひつじ書房 2011)などがある。
URL:http://www17408ui.sakura.ne.jp/tatsum/
上記サイトでは、文章の語彙や漢字の頻度レベルを分析する「日本語テキスト語彙分析器 J-LEX」や、語彙や漢字の学習・教育に役立つ「日本語を読むための語彙データベース」「現代日本語文字データベース」「日本語学術共通語彙リスト」「日本語文芸語彙リスト」などを公開している。

『自律を目指すことばの学習―さくら先生のチュートリアル』

編集部から

第二言語としての日本語を学習・教育する方たちを支える松下達彦先生から、日本語教育全般のことや、語彙学習のこと、学習を支えるツール……などなど、様々にお書きいただきます。
公開は毎月第4金曜日を予定しております。