タイプライターに魅せられた男たち・第160回

山下芳太郎(15)

筆者:
2014年12月11日

1908年1月14日、山県伊三郎逓信大臣と阪谷芳郎大蔵大臣、そして西園寺公望内閣総理大臣は、辞表を提出しました。鉄道国有化に際し、担当大臣である山県と、大蔵大臣の阪谷は、西園寺を挟んで侃々諤々の議論の末、何とか明治41年度の予算案を練り上げましたが、この予算案を元老3人(松方正義、井上馨、および臨時の元老だった桂太郎)が潰してしまったのです。多大な増税をともなう予算案など、まかりならん、ということです。これに対し、山県・阪谷・西園寺は、もはやこれまで、と辞表を提出しました。翌15日の読売新聞は、事の顛末を以下のように伝えています。

昨日午前の閣議の後、西園寺首相は午後二時参内し、闕下に伏して阪谷山県両大臣の辞表を執奏すると共に、自己もまた辞表を捧呈せり。これより先き、伊藤公は御召に依りて参内して、前後の事情に就き、種々御下問に奉答する所あり。更に西園寺首相をも御前に召され、ついで優渥なる勅語を賜り。伊藤公も西園寺侯に対し、国家内外の形勢上、首相の挂冠を許さずとて懇々述べ、留任を勧告したるを以て、首相も聖慮のほどを畏みて、ついにその意思を翻して、留職の上、この難関に処し、一層努力すべきことを誓い、午後四時過ぎ御前を退出し、これと同時に阪谷山県両大臣の辞表は御裁可となれり。

山下も、西園寺が辞職するなら、内閣総理大臣秘書官を続ける理由はない、と辞表を準備していました。ところが、結局、山県と阪谷だけが大臣を辞職し、西園寺は内閣総理大臣の職に留まったのです。1月17日に予算案の内示がおこなわれ、その席上、西園寺は以下の談話を発表しました。

今回における内閣の一部更迭を以て、あるいは内閣の不統一に、あるいは蔵逓両相の確執に起因するがごとき蜚語あるも、そは全く事実にあらずして、その顛末を申し述ぶれば、鉄道予算に関し自ら安んぜざる処あり。奏上の時期はなはだ遅れたるを以て、その首班に列する私は責任上、ついに骸骨を乞うに至りたるに、阪谷蔵相山県逓相も之を聞知し、事は総理大臣にのみ関するにあらずして、我々こそ直接にその責任を有するなれ、となし、各々辞表を捧呈し、続いて各大臣も、また辞表を捧呈するに至れるなり。然るに畏くも至尊より優渥なる御諚を賜わり、感激禁ずる能わず。人臣の本分として、ついに留任することに決心したる次第にて、この際、二相の留任を見る能わざりしは、深く遺憾とする所なり。ついては両相の位地は、一日もこれを空うする能わざるが故に、直に松田司法大臣をして大蔵大臣を、原内務大臣をして逓信大臣を兼ねしめたる次第なり。

松田正久が司法大臣と大蔵大臣を兼務し、原敬が内務大臣と逓信大臣を兼務することで、ギリギリの体面は保てたものの、西園寺内閣は、もはやガタガタでした。西園寺は3月25日、逓信大臣に堀田正養を、司法大臣に千家尊福を指名、鉄道国有化後の難局を乗り切るべく、何とか内閣をテコ入れしようとしました。しかし、西園寺内閣は八方ふさがりで、どうにもならないところまで追い込まれていたのです。

山下芳太郎(16)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。