タイプライターに魅せられた女たち・第79回

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(4)

筆者:
2013年5月2日

1869年5月11日、ロングリー夫人はニューヨークにいました。『Woman’s Advocate』紙の特派員として、AERA(American Equal Rights Association)の年次大会に参加するためでした。AERAは、アメリカ市民すべてが平等の権利を持つべきである、という理念に基づいて、ルーシー・ストーン、アンソニー女史(Susan Brownell Anthony)、スタントン夫人(Elizabeth Cady Stanton)、ダグラス(Frederick Douglass)らが、3年前に結成した団体でした。年次大会の前日にニューヨークに到着したロングリー夫人は、まず、『The Revolution』紙の編集局を訪ねています。『The Revolution』紙は、スタントン夫人を編集長とする女性機関誌で、女性の権利向上を目指していました。11日の夕方には、この編集局でレセプションが開催され、ロングリー夫人を含め、数多くの女性運動家たちが集いました。

1869年5月12日、AERAの年次大会が、スタインウェイ・ホールで開催されました。ロングリー夫人は、『Woman’s Advocate』紙の特派員として、また、シンシナティ代表として、壇上の席に座りました。年次大会の雰囲気は、しかし、相当に険悪なものでした。原因は、2月末に連邦議会を通過したアメリカ合衆国憲法修正第15条でした。

第1節    合衆国市民の選挙権は、人種、肌の色あるいは以前奴隷であったことを理由として、合衆国あるいは州によって否定されたり縮減されたりしてはならない。
第2節    連邦議会は、適切な法律で本条を執行する権限を有する。

会長代行のスタントン夫人をはじめとする女性運動家にとって、この修正第15条は唾棄すべきものでした。ここでいう「合衆国市民」は、21歳以上の男性だけを指していて、女性は含まれていないのです。一方、ダグラスをはじめとする黒人参政権運動家にとって、この修正第15条は大きな一歩でした。成人男性に限定されてはいるものの、黒人参政権が合衆国憲法で保障されるのです。連邦議会の下院も上院も通過し、あとは合衆国37州のうち28州の承認で、黒人参政権が成立するのです。共和党が政権の安定基盤を、黒人男性の選挙権に求めているのは、誰の眼にも明らかでした。それを、是と取るか、非と取るか。AERAは揺れていました。

1869年5月13日、AERAは瓦解しました。少なくともスタントン夫人とダグラスが、もはや同じ団体の下で活動できないことは、ロングリー夫人にもわかっていました。出席者の全てが、それを理解していたことでしょう。すなわちそれは、女性参政権運動と黒人参政権運動の決別を、意味していたのです。

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(5)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。