「書体」が生まれる―ベントンがひらいた文字デザイン

第10回 【コラム】印刷優秀書籍の出版・印刷所

筆者:
2018年12月5日

三省堂がいかに印刷にこだわって書籍をつくってきたか、ここまでにくりかえし述べてきたが、その品質に対する第三者からの評価はどうだったのだろうか。興味深い記事を見つけたので紹介したい。

 

時代はすこしあとになるが、昭和17年(1942)10月発行の『印刷雑誌』第10号(印刷雑誌社)に掲載された「印刷優秀書籍の出版、印刷所順位」(P.15-16)である。これは日本出版文化協会の印刷製本技術監査で、同年6~8月の3か月間に「印刷技術優良書籍」として挙げられたものの書名、出版社名、印刷所名を集計したものだ。

 

記事によれば、優良書籍として発表されたもの以外の、佳良と認められるべき書籍も含めて、出版社総数211社、優良・佳良書籍数 6月173点、7月161点、8月132点で、合計466点が挙げられたという。

 

誌面にはそのうち、印刷製本技術の優良・佳良書籍を5点以上挙げた出版社名が掲載されている。

岩波書店25点、三省堂16点、河出書房11点、芸艸堂9点、新潮社9点、有斐閣9点、研究社8点、甲鳥書林8点、山海堂8点、創元社8点、錦城出版社7点、弘文堂7点、冨山房7点、金原書店6点、(以下各5点)朝日新聞社、共立出版会社、古今書院、克誠堂、小学館、生活社、全国書房、ダイヤモンド社、筑摩書房、南山堂書店

また、優良図書として推奨されたなか、2点以上を手がけた印刷所も掲載されている。

精興社印刷所12点、三秀舎9点、内外出版印刷株式会社9点、三省堂印刷所7点、大日本印刷株式会社4点、玄真社3点、堀内印刷3点、康文社、富士印刷会社、秀功堂、交進社各2点

同記事では、これらの上位印刷所はもちろん、優良図書が1点ずつの印刷所名を列記して、〈何れも技術的定評ある印刷所のみであることは、日頃の態度が的確にここに反映されるものとして、これまた面白いものである〉とまとめている。

 

さて、三省堂の結果はどうだったろうか。出版社としては2位、印刷所としては4位という好成績。しかも、「出版・印刷所順位」のどちらにもその名が挙がっているのは、三省堂のみである。

 

印刷所を自前でもつ出版社として、書籍をつくる工場として、うつくしい印刷にこだわり、技術を磨いてきたことが、その受け手からも高く評価されていたことが裏づけられる記事である。[注1]

 

余談だが、かつて印刷関係教育機関には、どのようなものがあったのだろうか。昭和5年(1930)に刊行された『職業の解説及適性』(東京地方職業紹介事務局)には、次の教育機関が挙げられている。[注2]

◯東京高等工芸学校 東京市芝区新芝町
 入学資格 中卒、修業年限三年。
 印刷工芸科 生徒数 六十一人。
 写真科 同 十九人。

◯東京府立工芸学校 東京市本郷区元町
 入学資格 尋卒、修業年限本科五年、選科二年。
 製版印刷科アリ。

◯大阪府立今宮職工学校 大阪市西成区西四条
 入学資格 尋卒、修業年限本科三年、高等科三年、夜学二年。
 印刷科アリ。

◯精美堂印刷学校(共同印刷株式会社附属)東京市小石川区久堅町百八番地
 入学資格 高小卒、研究科、後期修了者乃至年齢十八歳以上ニシテ印刷工業ニ関スル相当の学力技芸資格を有スルモノ。
 修行年限 前期二ヶ年、後期二ヶ年、研究科一ヶ年。

 

なお、東京高等工芸学校(通称:高等工芸)は現在の千葉大学工学部、東京府立工芸学校(通称:府立工芸)は現在の東京都立工芸高校である。

 

[注]

  1. 本記事「印刷優秀書籍の出版、印刷所順位」(『印刷雑誌』第10号 印刷雑誌社、1942年10月)では、印刷技術優良書籍の印刷で最高位を占めた精興社印刷所に注目し、記事の最後をこのように締めくくっている。

    印刷技術優秀書籍の印刷で最高位を占めた精興社印刷所は、岩波文庫でめきめきとその技術を売出した会社として」読書人に馴染みが深い。同社はいち早く自動鋳造機数台を設備して、活字の一回限り使用を実行した工場であり、また一種独特の風格ある明朝活字書体の字母を整備して、その清新な字体で印象を深めた所である。こうした苦心と努力が、かかる形で表彰されるのは極めて有意義である。

    (『印刷雑誌』第10号 P.16)

  2. 「印刷関係教育機関一覧」(昭和五年用工業年鑑ニ依ル)『職業の解説及適性』(東京地方職業紹介事務局、1930)

[参考文献]

  • 『職業の解説及適性』(東京地方職業紹介事務局、1930)
  • 「印刷優秀書籍の出版、印刷所順位」『印刷雑誌』第10号(印刷雑誌社、1942年10月)

筆者プロフィール

雪 朱里 ( ゆき・あかり)

ライター、編集者。

1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

編集部から

ときは大正、関東大震災の混乱のさなか、三省堂はベントン母型彫刻機をやっと入手した。この機械は、当時、国立印刷局と築地活版、そして三省堂と日本に3台しかなかった。
その後、昭和初期には漢字の彫刻に着手。「辞典用の活字とは、国語の基本」という教育のもと、「見た目にも麗しく、安定感があり、読みやすい書体」の開発が進んだ。
……ここまでは三省堂の社史を読めばわかること。しかし、それはどんな時代であったか。そこにどんな人と人とのかかわり、会社と会社との関係があったか。その後の「文字」「印刷」「出版」にどのような影響があったか。
文字・印刷などのフィールドで活躍する雪朱里さんが、当時の資料を読み解き、関係者への取材を重ねて見えてきたことを書きつづります。
水曜日(当面は隔週で)の掲載を予定しております。