タイプライターに魅せられた女たち・第78回

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(3)

筆者:
2013年4月25日

当時、アメリカ合衆国では、白人男性だけが参政権を持っていて、黒人男性や女性に参政権はありませんでした。大統領選挙から州知事選挙、市長選挙、町長選挙、各種議会の議員選挙に至るまで、全て、白人男性だけが立候補し、白人男性だけが投票できるシステムだったのです。しかし、1860年11月にリンカーン(Abraham Lincoln)が大統領に選出されると、このシステムは一部が揺らぎ始めました。共和党のリンカーンは奴隷制廃止論者であり、いずれ、黒人に参政権を認める可能性が高い、と思われていたからです。実際にはリンカーンは、南北戦争の間、奴隷解放政策を次々に推し進めていったものの、黒人参政権に関しては、公の場では言及しませんでした。

南北戦争終結直後の1865年4月11日、リンカーンは、黒人参政権を支持する演説を、ホワイトハウスでおこないました。これが、リンカーンの最後の演説となりました。この3日後、リンカーンは暗殺されてしまったからです。リンカーンが進めていた奴隷解放政策は、アメリカ合衆国憲法修正第13条(1865年12月6日成立)で一応は達成されたものの、参政権は依然として、多くの州で白人男性だけに限定されていました。

ロングリー夫人は速記の技能を活かして、1868年11月、隣町のデイトンで創刊された『Woman’s Advocate』紙に、女性記者として携わっていました。『Woman’s Advocate』紙は、女性の権利向上、特に女性参政権の確立を目指していました。そして、その目標の一つは、アメリカ合衆国憲法修正第14条(1868年7月9日成立)の第2節に対して、さらなる修正をおこなうことでした。

第2節    下院議員は、各州に、州の人口に応じて割り当てられる。人口は、非課税のインディアンを除いて、州の全ての人を数える。ただし、合衆国大統領・副大統領の選出人、連邦議会の下院議員、州の行政職員・司法職員、あるいは議会議員の選挙において、21歳以上の合衆国市民である男性の選挙権が否定あるいは縮減される場合、その理由が反乱への加担その他の犯罪である場合を除いて、州に割り当てられる下院議員の数は、そのような男性市民が州の21歳以上の男性市民の総数に占める割合に応じて、減らされる。

すなわち下院議員は、女性を含めた人口全体に応じて割り当てられるにもかかわらず、女性の選挙権を州が認めなかったとしても、下院議員の数を減らされることはないのです。修正第14条は、黒人男性に参政権を認めない州の下院議員を減らすことはあっても、女性に参政権を認めない州には、何のおとがめもなかったのです。

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(4)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。