(前回の追記)
わたしは、五月に「文春オンライン」で、新明解国語辞典の八版での、ジェンダーの記述についての調査を発表しました。その原稿の中で、4月7日付朝日新聞に先を越されてしまい、「ああ、悔しい」と書きました。また「おしっこ」についても、「まさか、これがジェンダー関連の言葉だとは見抜けなかった。がっくりしている。」と、自分の挫折感・敗北感・屈辱感を正直に告白しました。その文章を見てくれた友人が、「わたしは、『おしっこ』を見たので、八版で『うんち』を引いてみました。衝撃でした」と、メールをくれました。
その時、わたしは、ひらめきました。
「あっ、ちょっと待って!」
と、誰に何を待っていただくのか、良くわかりませんが、そう思い、大急ぎで、八版ではなくて、七版の「うんち」を引きました。
「うんち」が幼児語かどうか。それはわからない。大人でも使っている人は使っている。今年一月には『うんちの行方』という本も出た。書いたのは、大人の男の人です。
さあ、次に引くべき言葉は、「うんこ」です。わたしは、ある期待で胸がドキドキした。「うんこ」にドキドキしている訳ではない。
「あー、やっぱりね」
どうよ、この語釈! わたしは、そう思いました。
七版では、「おしっこ」と同じように「母親が子供に」と、ある。八版では、子供に大便を促す相手は、母親と明記されていない。
朝日新聞のあの記事を書いた方は、きっと「うんこ」もジェンダー関連の言葉だと、おわかりだったはずです。でも、大きな活字で「うんこ」と書けますか? 「おしっこ」はOKだったと思う。でも、「うんこ」はやっぱりだめだと思う。ふん、わたしはここに大きい活字ではないですが、みなさまに「うんこ」も、立派なジェンダー関連の言葉だということを、お伝えします。なお、可能でしたら、今回のこのコラムのBGMは「仁義なき戦い」でお願いします。
ジェンダーについては、今後も引き続き調べていきます。
(その1おわり。その2につづく)