『日本国語大辞典』をよむ

第125回 残ることば

筆者:
2024年12月24日

第124回で、「物」があるから「語」があり、「語」があることによって「物」が言語体系の中にとりこまれると述べました。今回は「物」がなくなっても「語」が残ることがある、ということについて話題にしたいと思います。

『日本国語大辞典』の見出し「あみだな」「げたばこ」「ふでばこ」にはそれぞれ次のように記されています。

あみだな【網棚】〔名〕電車、バスなどで、手荷物をのせるための、網を張ってつくった棚。*落梅集〔1901〕〈島崎藤村〉利根川だより「手荷物洋傘などは網棚に乗せぬ」*暗夜行路〔1921~37〕〈志賀直哉〉三・九「大(おほき)い男人形を上の網棚(アミダナ)へのせ」

げたばこ【下駄箱】〔名〕(1)玄関などに置いて、靴や下駄などの履物を入れておく棚のついた箱。下足箱。*滑稽本・楽屋方言〔1804〕一・春狂言「茶棚の下に傘の置所、下駄箱(ゲタハコ)戸棚小長持」*二人女房〔1891~92〕〈尾崎紅葉〉上・六「粉の散る白鞣の朴歯を下駄箱(ゲタバコ)に形附ける」*虞美人草〔1907〕〈夏目漱石〉一三「下駄箱(ゲタバコ)の透(す)いて見える格子をそろりと明けた」(以下略)

ふでばこ【筆箱・筆匣】〔名〕筆を入れておく箱。また、鉛筆、ペン、消しゴムなどの筆記用具を入れる長方形の箱。皮製・布製の袋状のものなどもいう。*羅葡日辞書〔1595〕「Calamarium 〈略〉 Fudezzutçu, fudebaco (フデバコ)」*狂歌・豊蔵坊信海狂歌集〔17C後〕「命毛のながき五十の筆はこを明てこころむるうのとしの春」*殿村篠斎宛馬琴書簡-文政一一年〔1828〕三月二〇日「当地筆工に注文いたし、五拾本斗結せ候処、用立不申候。〈略〉打捨置、ふでばこをふさげ候のみ也」*和英語林集成(再版)〔1872〕「Fudebako フデバコ 筆匣」

筆者は通勤などで都営地下鉄を使うことが多いのですが、ある時、「アミダナ(網棚)」が透明なプラスチックになったことに気づきました。透明なので、物を載せると落ちないだろうか、などとよけいなことが気になって、しばらく落ち着かない気持ちになったことを記憶しています。だからといって、その前は網だったかというとそうではないので、ただの「気分」だったと思います。インターネットで調べてみると、1960~1970年頃にはまだ網の「アミダナ」があったようで、筆者も横須賀線か東海道線でそれを見たように思うのですが、あるいは記憶が違っているかもしれません。

「JR西の金沢支社によると、届く忘れ物は列車名・号車、座席位置、網棚か席か、駅ならばコンコースか何番ホームか、どのトイレかなど場所を詳しく記録。品物の色や特徴、写真もなるべく登録する仕組みだ」(2023年6月13日『朝日新聞』富山全県版)のように、「アミダナ」という語は現在でもそのまま使われています。

『三省堂国語辞典』第八版(2022年)は見出し「げたばこ」を「くつばこ。〔昔は、げたを入れた〕」と説明しています。『岩波国語辞典』第8版(2019年)では「げたばこ」が見出しになっていません。『明鏡国語辞典』第三版(2021年)は「げたばこ」を見出しにして「靴・下駄などの履物を収納しておくための家具」と説明しています。現在は 「押し入れやクローゼット、シューズボックスなども閉めたままにせず、数センチ開けておくといいでしょう」(2022年7月1日『週刊朝日』)のように、「シューズボックス」という語も使われていますが、『三省堂国語辞典』も『岩波国語辞典』も『明鏡国語辞典』もこの語は見出しにしていません。

『三省堂国語辞典』第八版は見出し「ふでばこ」を「えんぴつ・ボールペン・消しゴムなどを入れる箱。ペン ケース」と説明しており、説明中に「ペンケース」という語が使われていますが、「ペンケース」は見出しにはなっていません。〈すらすらと書く〉という意味で「筆を走らせる」と表現したり、〈作家などが文章を書くことをやめる〉ことを「筆を折る・筆を断つ」と表現したりしますが、「ペンを走らせる」は表現としてそれほど不自然ではないように感じます。ただし、これは鉛筆やシャープペンシル、ボールペンや万年筆で字を書く経験をしている世代の感覚かもしれません。現在でも手で字をまったく書かないということはないでしょうが、それでもパソコンを使って文書を作ったり、メモはスマートフォンに書いておくことが多い世代にとっては「ペンを走らせる」も「違和感」のある表現になる日がきてもおかしくないでしょう。漢語「カクヒツ(擱筆)」は〈筆を置く〉という語義で、〈書き終えること〉を意味していますが、こういう語も使う場面がなくなっていく可能性はありますね。

コンクリートでできていても「マクラギ(枕木)」、革でなくても「ツリカワ(つり革)」など、物がなくなってもことばが使われ続けているということはあります。他にどんなことばがあるか、考えてみるのもおもしろいかもしれません。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。