オール女史が解決すべき難題の一つは、赤字続きのモナーク・タイプライター社でした。「Underwood Standard Typewriter No.5」に対抗すべく開発した「Monarch Visible」でしたが、「Underwood」の牙城を崩すことができず、じりじりと赤字経営を続けていました。モナーク・タイプライター社を完全に切り離して、倒産させるという手段も有り得ますが、その場合、ユニオン・タイプライター社の株価も暴落しかねません。そうなると、レミントン・タイプライター社にも悪影響が出ます。結局、レミントン・タイプライター社は、モナーク・タイプライター社を「引き取る」ことにしました。まずは、代理店統合という形で、モナーク・タイプライター社のセールスマンを、レミントン・タイプライター社に引き取り、その後、「Monarch」ブランドそのものを「Remington」へと吸収することにしたのです。また、これと同時に「Smith Premier」も、「Remington」へと吸収することになりました。
「Monarch」と「Smith Premier」の技術を得たレミントン・タイプライター社は、1908年12月、「Remington Visible Typewriter Model 10」を発売しました。プラテンの前面に挟んだ紙に印字をおこなうことでタイピングした文字が即座に見える、という「Underwood」のキモをコピーしたタイプライターを、「Remington」のブランド名で発表したのです。それはすなわち、オール女史が慣れ親しんだ「Remington Standard Type-Writer No.2」を含む、いわゆるアップストライク式タイプライターの終焉を意味していました。
オール女史が解決すべき難題は、他にもありました。レミントン・タイプライター社とユニオン・タイプライター社の関係を、どう整理するか、という問題でした。ユニオン・タイプライター社の本社機能はニューヨークにあったのですが、登記上の本社はニュージャージー州に置かれたままで、株主総会もニュージャージー州で開催されていました。しかし、ユニオン・タイプライター社の設立当時とは、周囲の状況がかなり変わっていました。「Underwood」の台頭によって、ユニオン・タイプライター社によるタイプライター市場の寡占は、もはや崩れつつあったのです。そんな中、ユニオン・タイプライター社の登記を、ニュージャージー州に残しておくのは、あまりにも無駄です。1909年3月17日、ユニオン・タイプライター社のシーマンズとウッドラフ(Timothy Lester Woodruff)は、登記上の本社をニューヨークに移転する、と発表しました。レミントン・タイプライター社との経営統合に向けて、最初の段階をクリアしたわけです。
(メアリー・オール(12)に続く)