私は先に、〈常識的に考えて、〔国語辞典の〕収録語数が多ければ、求めることばが載っている確率はそれだけ高くなる理屈〉だと述べました。でも、これは本当でしょうか。常識は疑うためにあります。ここで確かめておきましょう。
手元に、武田泰淳著『風媒花』(1952年発表)という小説があります。中学1年のころ、近所の書店で何とはなしに買って来て読んだところ、まるで歯が立ちませんでした。〈読み終えた〉と当時の記録にはありますが、斜め読みだったと思います。
作品は、戦後の新中国に共感する知識人たちを描いたものです。彼らは、中国どころか自分の身の回りの始末もつけられないまま、あれこれ迷ったり、互いの立場を批判しあったりします。と言うと、面倒な思想小説のようですが、そうではなく、個性的な登場人物が動きまわり、愛し合い、裏切り、冒険する、わくわくする佳作です。
とはいえ、初めてこれを読んだ時には、分からない単語が続々出てきて、筋を追うことも困難でした。さすがに今はそんなことはありませんが、「国語辞典にないことばが多いな」と思うのは事実です。たとえば、「RS」「PD工場」「メチルプロパミン」などというのは、ちょっと意味が分かりません(それぞれ「読書会」「米軍管理工場」「覚醒剤の一種」)。
そこで、調査です。この『風媒花』から見慣れないことばを120語抜き出して、収録語数の異なる2冊の小型国語辞典で、それらを引いてみます。作品のことばが多く載っているのは、いったい、どちらの辞書でしょうか。
優劣を論じているという誤解を避けるため、辞書の名は伏せます。ここでは、A辞典(約6万数千語)、B辞典(約8万数千語)とのみ記しておきます。A辞典とB辞典の語数の差は、約2万語に及びます。
結論から言えば、A辞典も、B辞典も、成績はまったく同じでした。120語のうち、A辞典に載っていたのは41語。B辞典に載っていたのも41語でした。『風媒花』の特殊語が収録されている確率は、どちらも3割程度ということになります。2万語も差のある辞書を引き比べたのに、結果は変わりませんでした。「収録語数が多ければ、求めることばもそれだけ多く載っている」という常識は否定されました。
収録語数には落とし穴が
どうしてこんな不思議な結果になるのでしょうか。そのわけは、国語辞典に入っていることばをグループごとに分けてみると、明らかになります。
どの国語辞典でも、主要な部分をなすのは、何万語かの「常識語」というべき語彙です。これは、知らなければ「教養がないねえ」と言われそうなことばで、「目」「鼻」「海」「山」に始まって、「自由」「社会」「権利」「義務」、さらに、「乖離」「韜晦」「使嗾」「壟断」などという上級編までが含まれます。ほぼ、実用辞典のカバーする範囲に当たります。
このほかに、国語辞典によって、さまざまなグループの語彙を上乗せします。たとえば、明治文学に出てくる語彙、和歌や漢詩の語彙、新語の語彙……といった具合です。これらのオプションを増やせば増やすほど、収録語数が増えていく仕組みです。
今取り上げたA辞典とB辞典の場合は、たまたま、『風媒花』のような文章の語彙に、同じくらい力を入れていたものと思われます。辞書全体の収録語数には差があっても、あるグループの語彙数は似通っていたのでしょう。
ここから、次のことが言えます。収録語数の少ない国語辞典でも、利用者の目的によっては有用だということです。かえって、語数を誇る辞書が、その人にはあまり役に立たないこともありえます。収録語数だけを重視すると、落とし穴にはまります。
それにしても、『風媒花』のことばをA辞典・B辞典で引くと、3割ぐらいしかなかったというのは少なすぎないか、と思う人があるかもしれません。間違えないでほしいのですが、この作品の語彙全体の3割ではありません。語彙全体のうち、ことさら変わった語彙ばかりを引いてみて3割あったということですから、けっこうな成績です。
大型辞書の『大辞林』(三省堂)・『広辞苑』(岩波書店)でこれらの語を引くと、成績は上がり、どちらも約6割を載せています。超大型の『日本国語大辞典』(小学館)なら7割を超します。これだけの大型辞書なら、数字が上がるのは、まあ当然です。
もっとも、これを逆に言えば、さしもの大型辞書でも、『風媒花』1冊のうちの何十語かは載っていないわけです。上に述べた「RS」などのほか、「遺生児」「一番てい」「シャツ裸」「でかでかしい」「波泡」などということばは、辞書には見えません。このあたりは、辞書の課題と見るべきか、日本語の奥深さと見るべきか、むずかしいところです。