丹沢山塊には、なぜか憧れがあった。小さい頃に連れられて来たことがあったのか、いや、地名の漢字を調べていたときに気に掛かってからだろうか。
多くの小・中学校の夏休み最後の日を前に、さすがに家族でと、近場の神奈川県の飯山温泉まで足を伸ばした。極力、自動車を使わないので、電車に頼る。「小田急本線厚木駅からバスで」とある宿が取れたのだが、ピンと来た、というか何か嫌な予感がよぎる。電話であらかじめ確認してみたら、やはり転倒現象が起きていた。「小田急線本厚木駅からバスで」とのことで、入力ミスであろう。この厚木駅は厚木市ではなく海老名市にあり、そもそもややこしい。危ないところだったが、仕事柄、文字列に些細な勘が働いたことに安心もした。
宿では、露天風呂も設けてある。そこへの途上で、一匹の蛾が眼鏡に張り付いた。合宿などではキャンプ地でも、蛾のことを、鱗粉が落ちるからと嫌がり、逃げ惑う学生がたくさんいる。蝶とそう変わらないと言っても、そもそも蝶自体が嫌だとのこと。チョウチョはかわいらしく感じるのだろうと思い込んでいると、誤解の元となる。漢字では、「」と書いてしまう人がとても多い。
「喋」も「」と書かれがちだ。これらは、俗解と類推による形だ。習わない漢字だが、方々で使われているために何となく見よう見まねで覚えて書き、共通誤字のようになっている。一方の「蛾」は、表外字であるために「が」、その上、動物名なので「ガ」と書かれることが増えている。ただ、文中での読み取り性を維持するために、法令用語としては、ふりがな付きの漢字表記を例外的に認めている。こういう個別性が日本の文字には避けがたく付いてまわり、複雑さを重層的なものとしている。
露天風呂では、木と木の間に掛かっていた大きな蜘蛛の巣に、子どもが気付かずに突っ込む。私もそれを忘れて後で突っ込んだ。こういうことは、絶えられないという人が多いのだろう。ネット上でも、こうした宿の自然への苦言がたくさん書かれていた。露天風呂に虫が浮いていることも、仕方ないことだと思えるが、そのことや露天風呂までの道が長すぎるとかネット上の利用客の感想は苦言が厳しい。冷蔵庫などが古くて音がうるさいとの苦情も、読んでいなければ気にならないところで、貸し切りのような宿で、1本だけのビールでもう満足だ。
部屋の「萩の間」の「間」がよくある略字で記されている。中学1年生が「学校の先生がこう書く」と言う。「萩」も「はぎ」と読めた。秋の七草として母から習ったためだろうか、それとも姓にあったためなのか。こうした字体や字種も、いつの間にか覚えていくのだ。
地元の観光のためのパンフレットには、昭和の風情の漂うモデルさんたちがにこやかな口元をしてポーズを取っているものもあった。その一つには、「♨」が手書きされた地図が載っている。この揺らぎが実に面白い。「S」のようにくねるものと「逆S」のようにくねるものとの両方が世の中に共存しているのだ。
これは、筆記者の人の手の動かし方の癖や筋肉の運動の習性による違いが大きく作用していると私はみている。利き腕だけよるとすれば半々近くになるはずがない。縦書きしたときに、とある記号にもそれが9割方反映されるのだ。最古の温泉マークとされる江戸時代の形はそのどちらでもないし、学校で習ったかつての地図記号はゆらぎのない垂直で味気ないものだった。
これは、印刷活字や絵文字でもまさに揺れがある。中には、混交した形を描く人もいる。風情ある湯気だから、と下から上に描く人も案外いる。ともあれ、地元のパンフレットには、手書きでSタイプと逆Sタイプとが同居している1枚の地図を見かけた。温泉記号の筆致がどうやら別々の人のものでありそうなことが示唆的だった。