ロングリー夫妻は、アポロビルディングの速記専門学校で、タイプライターの代理店を兼業することにしました。「Remington Type-Writer No.2」を販売することにしたのです。しかし、この代理店契約は、かなり妙なことになっていました。もともとシンシナティでは、E&T・フェアバンクス社がタイプライターを扱っていたのですが、同社との代理店契約をE・レミントン&サンズ社が破棄したことから、その隙にロングリー夫妻が代理店契約を勝ち取ったのです。ところが今度は、ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社という新たな会社が現れて、代理店契約はその会社を経由しなければならなくなったのです。
1882年8月31日、シンシナティのギブソンハウスで開催された速記者国際会議に、ロングリー夫人の姿がありました。この会議でロングリー夫人は、速記におけるタイプライターの効用について、発表をおこないました。ロングリー夫人の発表を、一部引用してみましょう。
もちろん、全ての女性がタイピストになるわけではありませんし、事務職に就くわけでもありませんし、そもそも仕事に就くのが当然というわけでもありません。また、一部の人が言うような「文字を読める子供は誰でもタイプライターを打てる」などと主張したいわけでもありません。たしかに、文字を読める人は、タイプライターのキーを押すことで、紙に文字を打つことはできるでしょう。でも、それは、タイプライティングと呼べるものではありません。両手の人差指だけを使って、文字を打ち、スペースを叩いている人を見たこともあるのですが、そのような人がタイピストの職にありつくのは、とても無理だと思えるのです。2本か3本の指しか使えないピアニストやオルガンプレーヤーは、ピアニストやオルガンプレーヤーとして成功するとは思えないでしょう。それと同じように、2本か3本の指しか使えないタイピストは、タイピストして成功することはあり得ないのです。親指も含め全ての指を使ってこそ、初めて成功の道が開けるのです。
これ以前にも両手の人差指・中指・薬指を使うタイピング法は、いくつか考案されていました。ロングリー夫人は、さらに両手の小指を使うことで、高速なタイピングが可能になると考えていたのです。
ロングリー夫妻は、手狭になったアポロビルディングの速記専門学校を、1ブロック北西のブラッドフォード・ブロック13号室に移し、シンシナティ速記タイプライター専門学校(The Cincinnati Shorthand and Type-Writer Institute)と改称しました。ここで、ロングリー夫人は、両手の小指をも使うタイピング法を、教授しはじめたのです。