タイプライターに魅せられた女たち・第85回

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(10)

筆者:
2013年6月13日

1879年11月5日、AWSAの総会がシンシナティで開催されました。AWSAの設立から早くも10年が過ぎ、会長はブラックウェルに交代していました。ロングリー夫人は、副会長の一人でした。ただ、この10年の間、AWSAの活動は、目立った成果を上げていませんでした。AWSAとNWSAに分かれてしまった女性参政権運動は、実際のところ、女性参政権の確立に寄与していなかったのです。

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「Remington Type-Writer No.2」(The Type-Writer Magazine, 1878年1月号)

一方、1878年に発売された「Remington Type-Writer No.2」は、シカゴのみならず、シンシナティにおいても、少しずつ広まっていました。「Remington Type-Writer No.2」は、小文字を打つことのできるタイプライターだったので、電信局以外でも使われ始めていたのです。速記者の中にも、反訳や口述速記にタイプライターを使うべく、試行を重ねる人たちが現れていました。

1881年9月1~2日、シカゴのパーマーハウスで開催された速記者国際会議に、ロングリー夫妻の息子レオ(Leonel Anzuletta Longley)の姿がありました。レオの目的の一つは、エリアスの原稿の代読でした。この頃エリアスは、書痙とリューマチを患っており、シカゴまで出かけていくのは難しい状態でした。そこで、ロングリー夫妻は、息子のレオを、シカゴの速記者国際会議に送り込んだのです。速記者国際会議では数多くの発表がありましたが、中でも、タイプライターの速記への影響を扱った発表は、参加者の関心が高く、議論を呼びました。参加者のダニエル(Thomas Irvine Daniel)の報告を、見てみましょう。

デトロイトのフラワー夫人は、毎分119ワードのスピードでタイプライターを打っていた。すなわち、1分間に490文字もキーを叩けるということだし、あるいは500文字だって可能だということだろう。

これに対し、副会長のローズ(Theodore Cuyler Rose)も、こう答えています。

先週、グランドラピッズのウォルシュ&フォード法律事務所で見たのだが、若い速記者が、毎分97ワードものスピードでタイプライターを打っていた。しかも、その速記者はキーボードを全く見ずに、目線は元原稿だけを追っていたのだ。私は時計を持っていたので計ってみたのだが、確かに毎分97ワードだった。

初心者がロングリー式速記法を習得する際の目標は、毎分100ワードに達することでした。ロングリー式速記法とタイプライターを、そのまま比べることはできないものの、同等もしくはそれ以上のスピードでタイプライターを打つことができる、という事実は、レオのみならず、レオの報告を聞いたロングリー夫妻にとっても衝撃的でした。

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(11)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。