『日本国語大辞典』をよむ

第68回 ア行とヤ行

筆者:
2020年3月22日

あゆむ【歩】〔自マ五(四)〕(1)足を動かして進む。歩行する。あるく。あゆぐ。あえぶ。あゆぶ。あよぶ。あよむ。→ありく。*万葉集〔8C後〕一四・三四四一「ま遠くの雲居に見ゆる妹がへに何時か到らむ安由売(アユメ)あが駒〈東歌〉」*枕草子〔10C終〕二五・すさまじき物「宵よりさむがりわななきをりける下衆男、いと物うげにあゆみくるを」*源氏物語〔1001~14頃〕末摘花「われと知られじと抜き足にあゆみ給ふに」*方丈記〔1212〕「若(もし)、ありくべき事あれば、みづからあゆむ」*天草本伊曾保物語〔1593〕獅子と、馬の事「イカニモ シズカニ ニュウナンナ フリデ ウマノ ソバニ ayunde (アユンデ) キ」*小学読本〔1884〕〈若林虎三郎〉二「馬車人力車に乗るあり或は歩むあり」(略)語誌(1)類義語「あるく」「ありく」が、足の動作にとどまらぬ移動全体を表わすのに対し、「あゆむ」は、一歩一歩足を進めていく動作に焦点がある。「あるく」「ありく」が、散漫な移動や方々への徘徊をも表わすのに対し、「あゆむ」は一点を目標にした確実な進行を意味する。(2)「あゆぶ」「あよぶ」も同義であるが、中世の説話を中心に用いられている。

あゆぶ【歩】〔自バ四〕(1)「あゆむ(歩)(1)」に同じ。*百座法談〔1110〕六月一九日「鵝よろこびて太子のおまへにあゆびいたるに」*散木奇歌集〔1128頃〕秋「吹く風にあたりの空を払はせてひとりもあゆぶ秋の月かな」*滑稽本・浮世風呂〔1809~13〕二・下「『チョッ。さきへ歩行(アユビャア)がれ』ト子をしかりながらいで行」(略)

あよぶ【歩】〔自バ四〕(1)「あゆむ(歩)(1)」に同じ。*宇治拾遺物語〔1221頃〕九・八「聟、顔をかかへて『あらあら』と言ひて臥しまろぶ。鬼はあよび帰りぬ」*土井本周易抄〔1477〕「しりの皮の破た者は、いたうであよばれぬぞ」*四河入海〔17C前〕二三・一「小足にあよふ馬に美人たちを騎て、多くつれて溝山谷遊ぞ」(略)

あいぶ【歩】〔自バ四〕(「あゆぶ(歩)」の変化した語。江戸時代、安永、天明年間(一七七二~八九)頃の流行語)歩く。出かける。また、いっしょに行く。*雑俳・柳多留‐一一〔1776〕「江戸へあいばんかとつばなうりにいひ」(略)

あえぶ【歩】〔自バ四〕(「あゆぶ」の変化した語)足を運ぶ。あるく。あいぶ。*洒落本・両国栞〔1771〕「わっちと一っ所に二三度あヱんでみなさヱ」

「アルク/アリク」と「アユム」との語義の異なりについては、見出し「あゆむ」の語誌欄に記されているので、今ここでは「アルク/アリク」についてはふれないことにする。見出し「あゆむ」の語釈中に「あゆぐ」「あえぶ」「あゆぶ」「あよぶ」「あよむ」という語形が示されている。「ム」「ブ」については、子音が[m]であれば「ム」、子音が[b]であれば「ブ」であるので、ひとまず子音の交替形とみなすことにする。「アユム」の使用例として「万葉集〔8C後〕」があげられ、「アユブ」の使用例として「百座法談〔1110〕」があげられていることからすれば、この語に関しては「アユム」がまずあって、「アユブ」が後にうまれたとみるのが自然であろう。

ただし、「あゆむ」の語誌欄の(2)は「あゆぶ」「あよぶ」について、「あゆむ」と「同義であるが、中世の説話を中心に用いられている」と述べている。まったくの同義であれば、子音が交替しただけということになるが、「まったくの同義」であるかどうかを判断するのは難しい。

また、仮名は表音文字であると認識されている。それゆえ、ふつう平仮名で「あゆむ」と書かれていればそれは「アユム」と発音する語を書いたもの、平仮名で「あゆふ」と書かれていればそれは「アユブ」と発音する語を書いたものとみる。しかし、口で「アユブ」と発音している語は書きことばとしては、「アユム」にあたるから、書く場合には「あゆむ」と書く、ということは絶対になかったのだろうか、と時々思う。そんなことをいいだしたら、これまでたしかだと思っていたことがらがたしかではなくなってしまう。だから、これは筆者の「妄想」ということにしておく。しかし、口では「ヤッパリ」と発音することがあるが、それを文書に書くにあたっては、「やはり」と書くということはありそうで、右で述べた「妄想」はそれと同じことであろう。話しことばと書きことばとが平行関係にないことはむしろ明らかなことで、そうであれば、右のような「妄想」もひとまずは頭に置いておいてもよいかもしれない。

何を言おうとしているかといえば、「中世の説話を中心に用いられている」ということは一般的には先に述べたように、「アユブ/アヨブ」が後発したことを示しているとみなすであろうが、中世になって、仮名で語を書くということの「ありかた」が変わったということはないのだろうか、ということだ。例えば、中世以前にすでに音声上は二つの語形があって、標準語形に変異語形を包摂するような書き方から、変異語形も文字化するというような変化はなかったか、ということだ。「妄想」はこのあたりまでにしよう。

「アユム」から「アユブ」がうまれたとして、「アユブ」と「アヨブ」とは(第二拍が)母音交替形の関係になっている。さて、見出し「あいぶ」「あえぶ」にはともに「「あゆぶ」の変化した語」と記されている。「アユブ」から「アイブ」「アエブ」への変化はどのような変化とみればよいだろうか。「ユ」から「イ」、「ユ」から「エ」への変化は「イ・エ」をア行の「イ・エ」とみると少し考えにくい。「ユ」はローマ字でわかりやすく表示すれば[yu]でア行の「イ」「エ」は[i]、[e]で、「ユ」が子音+母音で成り立っているのに対して、「イ」「エ」には子音がない。しかし、この「イ」「エ」がヤ行の「イ」「エ」ならば、話は違ってくる。今仮にヤ行の「イ」「エ」を[yi][ye]と書くことにしよう。そうすると、[yu]から[yi][ye]への変化は、子音は同じで、母音だけが交替した母音交替形ということになる。これなら可能性がある。

ヤ行には「ヤ・ユ・ヨ」しかないのでは?と思われた方もいるだろう。「キコユ(聞)」などヤ行に活用する動詞の連用形「キコエ」の「エ」はヤ行であるはずだから、ヤ行の「エ」はたしかに存在する。仮名が成立する前に、このヤ行の「エ」がなくなってしまったために、仮名の一覧表にはない、ということだ。ではヤ行の「イ」は? 右の「アイブ」のように、ヤ行の発音(ここでは「ユ」)から変化したと思われる「イ」が原理的にはヤ行の「イ」だと思われる。したがって、「アエブ」の「エ」もヤ行の「エ」であるはずだ。

いろいろな語形から発音にかかわることがわかることもある。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。