タイプライターに魅せられた女たち・第84回

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(9)

筆者:
2013年6月6日

この後もロングリー夫人は、女性参政権運動に身を捧げ、それは生涯続くのですが、ここでは女性参政権運動から少し離れて、速記者としてのロングリー夫人に焦点を当ててみましょう。表音綴字はシンシナティでもあまり広まらなかったものの、ロングリー夫妻の表音速記は、かなりの需要がありました。講演や裁判、あるいは議会の記録を取るには、この当時、速記以外に有効な手段がなかったからです。シンシナティのいくつかの新聞で裁判速記者を続けながら、ロングリー夫人は、速記者教育もおこなっていました。速記者は、男女の区別なく能力を発揮できる仕事であり、しかも引く手あまたでした。夫エリアスの書いた『American Manual of Phonography』を教科書に、ロングリー夫人は、男性のみならず女性速記者の教育にも力を入れていたのです。

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1874年4月出荷の「Sholes & Glidden Type-Writer」1号機

ただ、この時点でのタイプライターを、速記に取り入れることに対しては、ロングリー夫人は消極的だったようです。この時点の「Sholes & Glidden Type-Writer」は、ミシンのような巨大さで、裁判所や講演会場に持ち込むには無理がありました。あるいは、タイプライターを速記の反訳に使おうとしても、そもそも大文字しか打てないので役に立ちません。シカゴには、すでにタイプライターの販売代理店ができていましたが、納入先の大半は電信局や電信学校そして電信技士でした。「Sholes & Glidden Type-Writer」は、モールス符号の受信や、電報の清書に使うものであって、一般の人々が文章を打つためのものではなかったのです。

そんな中、同業者のベン・ピットマンが、シンシナティの表音速記専門学校を、閉鎖せざるを得なくなりました。ベン・ピットマンは、1878年2月11日に妻ジェーンを亡くしており、妻の遺言にしたがって、妻の亡骸を火葬にしたのです。火葬は、ペンシルバニア州ワシントンでおこなわれたのですが、このことがさらに、シンシナティの良識ある人々の妄想を掻き立てたのです。アメリカの人々が牛や鶏の肉を焼くのは、もちろん食べるためです。その意味で、人間の肉をローストするなどということは、神をも恐れぬ所業だったのです。シンシナティの新聞という新聞に、そう書き立てられたベン・ピットマンは、表音速記専門学校の生徒や教師にまで逃げられてしまったのです。

ロングリー夫妻は、シンシナティのアポロビルディングにオフィスを借りて、ロングリー式の速記専門学校を開設しました。ロングリー式速記法は、ピットマン式速記法とは微妙に異なっていましたが、元々どちらもアイザック・ピットマンが考案した表音速記法を改良したものなので、大まかなところは同じです。ロングリー夫人は、ベン・ピットマンのもとで速記を学んでいた生徒たちも引き受け、シンシナティにロングリー式速記法を広めていったのです。

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(10)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。