高知での一場面。田舎の駅の跨線橋の階段を、女子中学生同士が手を繋いで降りてくる。また腕を組んで駆け登っていく。大学近くの線路を渡ったところにある神社では、学生たちかデートをする光景もあり、のどかだ。地域文字はないか、と探すのは卑しい感じがしないでもない、自然に眼に入ってくるのを待つのだ。
「葛島」だ。歩き回っているうちに自然に着いた。空港からのバスの中からも見ていた所まで来てしまった。この「葛」は、ときどき字体に問題ありとして扱われる字で、教え子もこの字を丹念に観察して修士論文を仕上げた。皆さんのパソコン画面では、この字は、どういう字体で見えているだろうか。高知のその地名では、
かづら
かずら
と、仮名遣いも揺れているが、字体が気に掛かる。
「島」と、明朝かゴシック体で看板にあった。ほかに、
「島」と明朝体。
「島」と筆字とゴシック体。この手書き用とデザイン用の両方の書体が、互いに似てくるとは皮肉なことだ。はねない「ヒ」のほうが伝統的な筆字に近い。
「」と、かえっておかしくなっているものが、この地にもあった。大学生も「○葛飾郡」・「葛飾区」という住所で、この字をよく書いているが、引っ越して来て間もない者は、この字体で書きがちだ。新参者であることが字面からある程度分かる。生粋の者、生え抜きはどこかの段階で習ったり自覚したりするのだろうか、「」と書く者がほとんどだ。
「」も、高知の電柱の手書きに見られた。
さて、この字については、飛行機で東京に戻ってからも気付いたことがあった。羽田空港からリムジンバスを待つ。これに乗れれば、モノレールよりもさらに楽に帰宅できる。停留所で、待っている行き先とは異なる「葛西」行きという表示が出る。
そのバスが来た。先頭の電光掲示では「」。
同じバスの側面の電光掲示では「」。
字種として、文字列として、表記として、気にする必要のない差だという事実を体現してくれていた。指摘されれば、ドット文字のフォントを揃えなければ、と思うかもしれない。JISの規格の見出し字体や常用漢字表の改定に翻弄されたような市も生じた。
道中の疲れの中、やっと来たバスに対して、そんなことを気にする人もそうはいないだろう。バスの先頭座席が好きだ。小学校の頃は酔うことがあったが、進行方向を見ている人は絶対に酔わないと聞き、それを知ってから見晴らしのよい席をできれば選ぶようになった。臨場感やドキドキ感もあり、ゲームのようだとはしゃぐ子供のようだが、風景の中に溶け込んだ字も、よく見えるのだ。
路上の白い字には、独特の癖がある。車内の運転席から読みやすいようにと細長く記されている。テレビで、親方がまっすぐに線を引き、カーブも巧みに仕上げているのを弟子が真似をするという場面への取材があったのを思い出す。100キロを超す速度の中、動体視力で読みやすい字体は、実際にあの公団フォントだったのだろうか。