複数の語から成り立っている文や句が熟語や慣用句としてひとつの新しい意味を表すようになった場合、1語に書こうという欲求が生まれる。これも視覚的な区別であり、耳で聞いただけでは語が連続して並んでいるだけである。例えば、nicht amtlichは「公式でない」という意味の句であったが、「非公式の」というひとまとまりの意味で使われることが多いので改訂新正書法ではnichtamtlichと1語で書くことも認められることとなった。
並んでいるとは言っても動詞句の場合はやや複雑である。例えば、sitzen bleibenの場合、「座ったままでいる」という意味から派生して、「(学校で)留年する」という意味で使われるようになったとき、前者と区別して後者を1語に書く習慣が生まれた。(旧正書法ではこれを1語に書いていたが、新正書法では2語に書くこととなり、それが改訂新正書法では両方が認められるようになった。)しかし、実際に1語で書くのは不定詞や分詞、副文末における人称変化形の場合だけであり、本動詞bleibenが主文において人称変化した場合はsitzenとbleibenは離ればなれになる:Er bleibt wieder sitzen. Er muss wieder sitzenbleiben/sitzen bleiben. Er ist wieder sitzengeblieben/sitzen geblieben.Ich weiß, dass er wieder sitzenbleibt/sitzen bleibt.これはまさにsitzenbleiben/sitzen bleibenが熟語であり、1語でないことの表れである。ドイツ語文法ではこのような動詞を分離動詞と呼んでいるが、しかし、分離動詞というような特別な動詞のグループが存在するわけではなく、これらを1語に書くという正書法上のきまりにすぎないのである。そう考えるならば新正書法のように2語に書くのが正しいのだし、ドイツ語の辞書ではsitzen bleibenを熟語として見出し語bleibenのところで扱わず、sitzenbleibenという見出し語を立てているのも奇妙と言えば言える。また、ひとまとまりの意味を持つものは1語に書くのが自然だとしても、逆にそのような熟語をすべて1語に書いているわけでもない。例えば、旧正書法では「自転車に乗っていく」は熟語としてradfahrenと1語に書き、Auto fahrenの場合はAutoは直接目的語でもありうるので2語に書いていたが、新正書法、改訂新正書法ではradfahrenをAuto fahrenと同様にRad fahrenと2語に書くこととなった。