コントの三段階説の説明を踏まえて、さらに話が展開します。こう続きます。
さて此三ツの場所なる者は學問上に於て大關係するものなり。凡そ眞理を得るは學問にあり、其眞理を得而して之を術に施してつかひこなすを要用とす。しかし眞理を得るとも術に施して直に用立ものにあらす。そは二ツの場を經て終に三ツ目に止るなり。
(「百學連環」第42段落第25文~第28文)
現代語にしてみましょう。
さて、この三段階というものは、学問の上においても大いに関係している。およそ真理を〔明らかにして〕獲得することは学問のなすことである。そうして得た真理を、術に応用して使いこなすことが重要である。だが、真理を得て術に応用すれば、すぐに役立つというものではない。それは、二つの段階を経て、最後に第三段階に至るのである。
今度は、例の三段階と学問の関係が説かれています。学問が真理の獲得を目指すということ、そうして得られた真理の応用が術(技術)であるということは、以前にも指摘されました(例えば、第93回「学は真理を求め、真理を応用するを術という」)。
ここでは、それに加えて、ちょっと面白いことが言われています。真理を得たとしても、それがすぐ役立つとは限らないというのです。やはり三段階の見立てが関係してくるようです。どういうことか、続きをまずは見てみましょう。
譬へは蒸氣に膨脹力あることは古來知る所なり。然るを中世漸く此蒸氣の力を以て器械を運動することを發明し、近來に至りては進むて蒸氣船、或は蒸氣車を發明し得て海陸の通路を便になすことを得るか如く、縱令眞理を得るも直に用を遂けかたきものなるか故に、そは勉強講究し種々の工夫を積みて始めて術につかひこなし、其つかひこなすを得る、是を術といふなり。其術の用を爲すの大いなることは、磁石の理よりして終に傳信機を發明し、或は風の理よりして風車を發明し、器械を働かす等の如き、皆其術につかひこなすことを得る所なり。
(「百學連環」第42段落第29文~第31文)
訳せばこうなるでしょうか。
例えば、蒸気が膨脹力を持っているのは、古来知られてきたことだ。しかし、その蒸気の力を使って機械を動かすという発明は、中世になってからようやく現れた。あるいは、蒸気で動く船や車を発明して、海路や陸路の往来が便利になった。こうした例のように、たとえ真理を得ていたとしても、すぐにそのまま役立てられず、さらに研究を重ねていろいろな工夫をしてみて、ようやく術として使いこなすというわけだ。そのように使いこなせるようになることを「術〔技術〕」というのである。例えば、磁石に関する真理から、ついには電信機を発明したこと、あるいは風に関する真理から、風車を発明して、それによって機械を動かしたことなどのように、術を使いこなすことによって、術が大いに役立つわけである。
なるほど、具体例を見て、西先生の言わんとすることが見えてきました。蒸気が膨脹するということは、ずっと昔に発見されていた。でも、発見されたからといって、当時はそれを技術として使ったりしなかったし、使えなかった。それが、後になって蒸気が膨脹するという真理を、技術に応用した機械が発明された。この発明によって、蒸気を原動力とする船や車も発明される。この技術を使いこなすことによって、交通が便利になった。
ここでは何が三段階として考えられているかというと、
1) 真理が発見される。
2) 真理が技術に応用される。
3) 応用された技術が活用される。
ということでしょうか。現代なら、「研究・開発(R&D)」というところですね。学術的な真理の探究が行われ、発見された真理を実用に移すべくさらに研究や実験といった開発が進められ、最終的になんらかの製作物となって、使われるに至るというわけです。