日本語社会 のぞきキャラくり

第91回 キャラクタ考察の方法論(下)

筆者:
2010年5月23日

「キャラクタ」という考えを受け入れなければ説明できないと思える事例は、ごく最近の動画や文字資料にも豊富に見つかる。前回はその一例として「嵐」の櫻井翔氏の発言や、浅井尚子氏の『お魚菜時季』を示したわけだが、そういうものは、おじさん、この連載ではあんまり取り上げないの。

いやいや。そういうのが嫌いってわけじゃないよ。「嵐」なんか、ファンクラブに入ってるぐらいだもん。うん、ウソだけど。でも『お魚菜時季』なんか、連載68が欠番だとか、浅井水産はあのビルの1階だとか、好きでよく知ってるもん。これはホント。(マニアかな。。。)

じゃあ、なんで最近のものを取り上げないのかっていうと、そういうのをいっぱい出したら、誤解されて、「現代若者論」ってやつに絡め取られちゃうから。「なるほど。櫻井という若者のように、いまどきの連中は「自分」というものがしっかりできていないということですな」「いまの若者は、浅田という人のようにことばが乱れて、「自分」らしい一貫した文章が書けなくなっているわけね」みたいに。いくら「違います。これは最近の若者にかぎった話じゃないんです。私たちは昔からこうだったんです」って言っても、きいてくれないの。おじさん、知ってるもん。

かといって、こういう例も、おじさんはあんまり取り上げたくないの。

 また、さもあるまじき老いたる人、男などの、わざとつくろひひなびたるはにくし。

 おなじことなれどもきき耳ことなるもの。法師の言葉。をとこのことば。女の詞。下衆の詞には、かならず文字あまりたり。

[清少納言『枕草子』池田亀鑑校訂, 岩波文庫]

「そう年寄りでもない人や男なんかが、わざと田舎くさく取り繕っているのは気にくわない」「同じ内容でも、僧侶の言い方と男の言い方、女の言い方で印象が違う。ゲスな人の言い方は必ずくどい」みたいな、2つともやっぱりキャラクタに関わってる話だけど、古いもん。こういうのを取り上げると「なるほど。平安時代はねー」とか「そうそう、清少納言はさー」って、その時代論とか筆者論の方に持って行かれかねないし、だいたいみんな「古くせェー!」って逃げてっちゃうじゃん。おじさん、知ってるもん。

だからこの連載では、「キャラクタは私たちの日本語社会に深く関わっている」ということをみんなに思い当たってもらうために、たとえば谷崎の小説がどうとか、太宰の脚本がこうとか、「現代」だけどやや古い、権威ある有名どころの人たちの文章を中心に取り上げてんの。わかる? おじさんの趣味はあくまで「嵐」なんだけどね。くどいか。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。