筆者は、仕事などに必要な本を探す時に、「日本の古本屋」というサイトをよく使う。この「古本屋」は「フルホンヤ」と発音するのだろう。しかし、筆者は「古本」を「フルボン」と発音する人を知っている。『日本国語大辞典』には次のように記されている。
ふるほん【古本】〔名〕(「ふるぼん」とも)読み古した本。時代を経た書物。また、読んだあと売りに出された本。古書。こほん。
上の記事からすれば、「古本」は「コホン」を書いたものである可能性もあることになる。「ボン」という語はないので、「フルボン」の「ボン」は「フル(古)」と「ホン(本)」とが複合して一語になったために「ホン」が「ボン」と形を少し変えたものである。「アマガエル(雨蛙)」の「ガ」と同じ現象で、「連濁(れんだく)」と呼ばれる。
「連濁」という用語を使って説明すれば、「フルホン」は連濁が生じていない語形、「フルボン」はそれが生じている語形である。複合すれば必ず連濁するということでもないことがわかっている。さて、『日本国語大辞典』の「「ふるぼん」とも」の「とも」である。これはいわば含みの多い「とも」で、かつてそういう語形があったことを示す場合もある。また2つの語形が同時期に併用されていることを示す場合もある。「フルホン」と「フルボン」はどうなのか? そう思っていたところ、江戸川乱歩「D坂の殺人事件」を読んでいて、次のような例に遭遇した。「D坂の殺人事件」はちょっと大人向きの作品なので、ここで粗筋を紹介することは控えておくことにしましょう。
A といふのは、古本屋の一軒置いて隣の菓子屋の主人が、日暮れ時分からつい今し方まで、物干へ出て尺八を吹いてゐたことが分つたが、彼は始めから終ひまで、丁度古本屋の二階の窓の出来事を見逃す筈のない様な位置に坐つてゐたのだ。(47ページ)
B 僕は、丁度八時頃に、この古本屋の前に立つて、そこの台にある雑誌を開いて見てゐたのです。(48ページ)
話題が繊細なので、まず「D坂の殺人事件」をどんなテキストで読んでいるかについて記しておこう。大正14(1925)年8月1日に発行された、創作探偵小説集第1巻『心理試験』(春陽堂)第3版に収められているものだ。初版は同年7月18日に出版されているので、わずかな間に版を重ねていることがわかる。そしてこれは江戸川乱歩の初めての単行本であった。この『心理試験』は漢数字以外の漢字にはすべて振仮名を施す、いわゆる「総ルビ」で印刷されている。上ではそれを省いたが、文章A中に2回使われている「古本屋」には「ふるほんや」と、文章B中の「古本屋」には「ふるぼんや」と振仮名が施されている。この『心理試験』においては、濁音音節には濁点がもれなくついているように思われる。「思われる」は歯切れが悪い表現であるが、全巻を丁寧にチェックしたわけではないので、「ほぼそうであろう」ということだ。明治期の文献の場合、濁音音節に必ず濁点がつけられているわけではないので、「ふるほんや」は「フルホンヤ」「フルボンヤ」いずれであるかわからない、といわざるをえない。大正14年に印刷出版された『心理試験』においては、濁点がきちんとつけられていると前提して述べることにするが、そうであれば、上の例は非濁音形「フルホンヤ」と濁音形「フルボンヤ」とが併用されていたことを示唆する興味深い実例ということになる。そんな細かい事で喜んでいるのか、と思われた方がいらっしゃるかもしれないが、そうなんです。そんな細かい事で喜ぶのです。文章B中の「古本屋」には「ふるぼんや」と振仮名が施されているので、これは「フルボンヤ」という語形があったことの(ほぼ)確実な例ということになる。「(ほぼ)」は、この例が誤植である可能性を考えに入れてのことだ。
「フルホン」「フルボン」の語義は変わらない。だから「どっちでもいいじゃないか」という「みかた」は当然あり得る。しかし、語形は異なる。ある音節が濁音なのか、そうでないのか、そういうことも場合によっては気になる。拙書『百年前の日本語』(2012年、岩波新書)の「あとがき」でもふれたが、海外ドラマを見ていて、「微表情(micro-expression)」ということばを知った。ヒトが時としてみせる微妙な表情から心理状態を読み取るというような話だ。文献も「微表情」をもっているだろうし、語彙の観察だって、語彙のもつ「微表情」を読み取るというようなアプローチがあってもよいと思う。語義は同じで、語形が少し異なるという2つの語の存在は、microな話かもしれない。
大正14年に発行された「総ルビ」のテキストを読んでいると、「背恰好」に出会う。これには「せいかつかう」と振仮名が施されている。つまり「セイカッコウ」と発音していたことになる。振仮名がなければ、現代は躊躇なく「セカッコウ」と発音するはずだ。ポーの『モルグ街の殺人事件』の話がでてくる。そこには「オラングータン」とある。英語は「orang-utan」であるので、誤植ではない。昭和44(1969)年に講談社から出版された「江戸川乱歩全集」全15巻の第1巻に「D坂の殺人事件」は収められているが、そこには「オランウータン」とある。江戸川乱歩の作品はいろいろなかたちで、活字化されている。そしてそれに乱歩自身がかかわっている場合もある。だから、「いつ、どこで、誰によって」、「オラングータン」が「オランウータン」に変えられたか、は丁寧に調べないとわからない。これは楽しみとしてとっておくことにしよう。
さて、こうなると『日本国語大辞典』がどうなっているかが気になるが、「オラン-ウータン」を見出しにしているが、語釈中にも「オラングータン」はみあたらない。これもmicroな話かもしれないが、丁寧に読むことによって、いろいろなことがわかる。