人名用漢字の新字旧字

第9回「靖」と「靖」

筆者:
2008年4月17日

新字の「靖」は人名用漢字なので子供の名づけに使えるのですが、旧字の「靖」は子供の名づけに使えません。「靖」は出生届に書いてOKですが、「靖」はダメ。でも実は、旧字の「靖」がOKだった時期もあったのです。

全国連合戸籍事務協議会は昭和25年10月19日の総会で、子供の名づけに使える漢字を、当用漢字以外にも増やしてもらうべく、法務府と文部省に要望することを決めました。当時、全国の戸籍窓口には、当用漢字以外の漢字を使った出生届が数多く提出されており、戸籍担当者たちは、それらの拒否に追われていました。この時、全国連合戸籍事務協議会が要望した54字の中に、旧字の「靖」が含まれていました。

全国連合戸籍事務協議会の要望を受けて、国語審議会は昭和26年5月14日、人名漢字に関する建議を発表しました。この建議は、子供の名づけに使える漢字として、当用漢字以外に新たに92字を追加すべきだ、というもので、この92字の中に「靖」も含まれていました。国語審議会の建議では、旧字の「靖」ではなく、新字の「靖」になっていたのです。翌週5月25日、この92字は人名用漢字別表として、内閣告示されました。新字の「靖」は、昭和26年5月25日から、子供の名づけに使えるようになったのです。

一方、旧字の「靖」は、子供の名づけには使えないと思われていました。これに対し、昭和36年12月15日、当時の栃木県今市市の戸籍事務担当者は、今市市長経由で宇都宮地方法務局長に対し、旧字の「靖」を名に含む出生届を受理してよいかどうか、照会をおこないました。法務省民事局長の回答(昭和37年1月20日)は、旧字の「靖」も受理してさしつかえないが、なるべく新字の「靖」で出生届させるよう指導してほしい、というものでした。当時「青」と「靑」の両方が子供の名づけに使えたので、「靖」と「靖」についても両方を認めたのです。

ところが、昭和56年5月14日の民事行政審議会答申では、新字の「靖」は子供の名づけに使えるが、旧字の「靖」はダメ、となっていました。常用漢字表の内閣告示に伴って、「靑」が子供の名づけに使えなくなる予定なので、それに合わせて「靖」もやめよう、ということだったのです。昭和56年10月1日、戸籍法施行規則が改正され、旧字の「靖」は子供の名づけに使えなくなりました。新字の「靖」は、人名用漢字にとどまりました。つまり、新字の「靖」は、昭和26年5月25日から現在に至るまで、ずっと出生届に書いてOKですが、旧字の「靖」は、昭和37年1月20日から昭和56年9月30日までの間だけOKだった、幻の人名用漢字なのです。

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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