新幹線に乗って京都へ。電光掲示板にはドット文字で、「消費増税法案」と流れる。字数を節約するために、なんとなく伝える窮屈な表現かと思いきや、ほかでも見出しであちこちに現れるようだ。
今回、駅ビル内のホテルで宿泊となっている。少し高級そうで落ち着かない。しかも翌朝からの会合も同じホテルの中だそうなので、このままでは、せっかく京都まで来たのに、駅の中から一歩も出ずに東京に戻ることになってしまう。京都駅では、
非常停止ボタン
のほかに、ホテルの入口に向かうエスカレーターでは、漢字表記を見つけた。
非常停止釦
夜なので、地下街にあった、心斎橋が本店らしい入りやすそうな店で晩ご飯をとる。結局、駅から離れられない。大阪のレストランは、味がしっかりしていて、さすがは食い倒れの街、どうも客が店を育てているようだ。
構内に戻ると、とても入れそうにない高級そうな店先には、同じ店なのに、テンプラに対して、
天麸羅
天冨良
天ぷら
と3通りの表記が1か所に集中して使われていた。真ん中の例は、字で語を飾り、他店との差まで示すようだが、これらの併存という多様性の意図とはなんだろう。
テンプラの語源には、外来語説が強いが、「天ぷら」という当て字込みの表記が珍しく新聞などでも認められている。江戸の山東京伝が「天麩羅」と当てたという説に対して、古い例との照合をしたくなってくる。看板などでは、「天婦羅」「天婦゜羅」やそれらの崩し字・変体仮名もかつてはよく見かけたものだ。
部屋に入ると、テレビはもちろん設置されている。先日の大学の合宿所は、これがなかったのが意外にも幸いし、何もしない休息を楽しむことができた。
「全国的に荒天」の字幕、「好天」と対義的な同音語で、字幕に頼らないと誤解を起こす。「天望デッキ」も目に頼った表記だ。
コマーシャルで、「かるいかけふとん」。「かけぶとん」よりも軽く聞こえるのは、連濁に馴染んだ耳には聞き慣れないこの清音のおかげだろう。リーブ21のCMでも、「研究所」がケンキュウショと濁らず発音されている。最近は関西でもケンキュウジョが優勢のようだが、その社長さんの京阪式のアクセントからすると、これも地域差と世代差の反映なのだろうか。
流れる番組では、ダウンタウンの濱田(この方には、「浜」のほか、旁が「宀眉ハ」になった異体字もときどき字幕で現れる)が、山崎邦正のことを「やまさき」と投書の読み上げのときに、呼んでいた。さすが、関西だ。関東では、ヤマザキホウセイと思い込んでいる学生がほぼすべてを占めていて、習慣に染まって「聞けども聞こえず」の状態に自然となっている。使用頻度を含めた環境が、そういう印象を形成するのだ。お笑いタレントでは、「ザキヤマ」と称される「山崎」という人との区別がなくなっている。
そして、私の部屋の清掃をしてくれた方の名前が、置かれた紙の札によると「中田」さん、ローマ字では「Nakata」、濁らないのはやはりここが西日本だからか。漫才コンビの人の名にもあるが、それも私は連濁するものと思い込んでいた。兵庫出身の柳田(やなぎた)国男のことも、今でもうまく発音できない。漢字に濁音符を振ることは、訓点資料や江戸時代の丸本や戯作などでは行われることがあった。
濱田氏は、ハガキの「捕まえた」(字幕)を「とらまえた」と読んでいた。これは「捕まえる」と「捕らえる」との混淆によって生じたとされる語で、大阪弁とも目されることがある。テレビを見ていても、漢字の地域差が垣間見える。