翌朝、京風の朝食を頂き、カメラを持って鴨川方面へ出る。「都」は、やはり左の「ノ」が上に出ない字体(第40回・第41回)が看板でさらに見かける。京都タワーホテルでもそうだ。これは、一時期、古い書体を参照し、この地で流行したデザインなのだろう。
地元の方々に教えてもらったところでは、手書きでは実際にはほとんど現れないそうだが、年配の方には見られるという話もうかがった。こういう地域差や年代差については、そうした情報を必要としている現場もあることだし、きちんと調査できる態勢がしっかりとした形で整えられることを願っている。
「七条」はSHICHIJOUのほか、聞き取りやすいNANAJOUも使われていた。いわゆる京訛り、いや京言葉では、「ひっちょう」にまで変化する。
「月極(旁の1,2画目は「了」)ガレージ」が目に入る(前回)。有名な「モータープール」とともに、近畿は意外と新しい物好きであって、外来語を好む傾向もあるのだろうか。古めの看板も随所に残っている。「」は、共通誤字だ。
昭和40年代後半から50年頃の東京区部で見たような看板や貼り紙を思い出す。そうしたもの、それらに似たものが案外この地には残っている。時間が止まったような空間が寺社に行かずともそこここにある。
江戸時代からの看板は少ないようだが、それらしさの漂う老舗の筆字、崩し字、変体仮名の看板もまた散見される。ただし、あの「楚者゛」を崩した擬古的な「そば」は、ここでは逆に少ない。崩し字を残そうとして、そのままゴシック体のようにデザインしたロゴも見受けられる。
萩の屋 駅弁の会社
冨士屋 そば屋
伝統の和の雰囲気を残しつつ、線を太く強くして印象を強めようとした結果だろうか。
阪和
ここでは、当たり前のようだが、「坂」より「阪」が目に付く。伊勢の松阪も、もとは「坂」が多かったのが、維新後に、それまでの縁起担ぎによるものなのかどうかは証明が難しいが、「大阪」と正式に決まってから、それに合わせたそうだ。
「洛」の字も、あちこちに用いられている。これも、一種の地域文字だ。中国の洛陽に因むもので、さすが歴史のある都だ。「洛中洛外図屏風」など、全国で知名度の高い字ではあるが、地元では学校名から何から圧倒的によく使用されている。この字になじみがあるわけだから、「落」という字も、「さんずい」から書いて「」という誤字は少ないのでは、と予測したことがあったが、身に付ける順序が関係しているためか、そうでもなかった。京都出身の学生も、ふつうに「」と書いてくる。言語習得期ならぬ文字習得期というものも、教育の影響が大きいに違いないがあるはずで、学校で「落」を習う時期との関連もあるのだろう。
祇園の「祇」は、日本全国であちこちに集中して存在しているが、手書きと活字とで分かれる傾向のあった字体も、今やめちゃめちゃに混ざり合っていることが知られている。簡単な字でも、「先斗町」で「ぽんとちょう」は知らなければ読めない。ポルトガル語説が強いこの名をもつ地にて、鴨川沿いの川床でご相伴にあずかった京都の地下水から造ったというお酒は、遠くに南座を眺望し、梅雨の晴れ間の夜風を浴びながら頂ける、日常を忘れられる贅沢なものだった。