漢字の現在

第213回 京都の「洛」と「落」

筆者:
2012年8月21日

翌朝、京風の朝食を頂き、カメラを持って鴨川方面へ出る。「都」は、やはり左の「ノ」が上に出ない字体(第40回第41回)が看板でさらに見かける。京都タワーホテルでもそうだ。これは、一時期、古い書体を参照し、この地で流行したデザインなのだろう。

地元の方々に教えてもらったところでは、手書きでは実際にはほとんど現れないそうだが、年配の方には見られるという話もうかがった。こういう地域差や年代差については、そうした情報を必要としている現場もあることだし、きちんと調査できる態勢がしっかりとした形で整えられることを願っている。

「七条」はSHICHIJOUのほか、聞き取りやすいNANAJOUも使われていた。いわゆる京訛り、いや京言葉では、「ひっちょう」にまで変化する。

京都市内で

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【京都市内で】

「串(関西では街中で見かけることが多い)」「天婦羅」「〇 口」「輪(リング)」「風が凡のよう」「はねない芋」など、見所が多い手書き文字。

「月極(旁の1,2画目は「了」)ガレージ」が目に入る(前回)。有名な「モータープール」とともに、近畿は意外と新しい物好きであって、外来語を好む傾向もあるのだろうか。古めの看板も随所に残っている。「(専+点)」は、共通誤字だ。

昭和40年代後半から50年頃の東京区部で見たような看板や貼り紙を思い出す。そうしたもの、それらに似たものが案外この地には残っている。時間が止まったような空間が寺社に行かずともそこここにある。

江戸時代からの看板は少ないようだが、それらしさの漂う老舗の筆字、崩し字、変体仮名の看板もまた散見される。ただし、あの「楚者゛」を崩した擬古的な「そば」は、ここでは逆に少ない。崩し字を残そうとして、そのままゴシック体のようにデザインしたロゴも見受けられる。

 萩の屋 駅弁の会社
  冨士屋 そば屋

伝統の和の雰囲気を残しつつ、線を太く強くして印象を強めようとした結果だろうか。

 阪和

ここでは、当たり前のようだが、「坂」より「阪」が目に付く。伊勢の松阪も、もとは「坂」が多かったのが、維新後に、それまでの縁起担ぎによるものなのかどうかは証明が難しいが、「大阪」と正式に決まってから、それに合わせたそうだ。

「洛」の字も、あちこちに用いられている。これも、一種の地域文字だ。中国の洛陽に因むもので、さすが歴史のある都だ。「洛中洛外図屏風」など、全国で知名度の高い字ではあるが、地元では学校名から何から圧倒的によく使用されている。この字になじみがあるわけだから、「落」という字も、「さんずい」から書いて「(シ+茖)」という誤字は少ないのでは、と予測したことがあったが、身に付ける順序が関係しているためか、そうでもなかった。京都出身の学生も、ふつうに「(シ+茖)」と書いてくる。言語習得期ならぬ文字習得期というものも、教育の影響が大きいに違いないがあるはずで、学校で「落」を習う時期との関連もあるのだろう。

祇園の「祇」は、日本全国であちこちに集中して存在しているが、手書きと活字とで分かれる傾向のあった字体も、今やめちゃめちゃに混ざり合っていることが知られている。簡単な字でも、「先斗町」で「ぽんとちょう」は知らなければ読めない。ポルトガル語説が強いこの名をもつ地にて、鴨川沿いの川床でご相伴にあずかった京都の地下水から造ったというお酒は、遠くに南座を眺望し、梅雨の晴れ間の夜風を浴びながら頂ける、日常を忘れられる贅沢なものだった。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。