京都での気鬱な会合の前に、市内を散策してみる。さすが千年のみやこ、「都」という漢字がどこにでも書かれている。東京からの新幹線の車内で座席を立とうとする時点で、その電光掲示板に、次の停車駅は「京都」と表示が出る。これがドット文字ながら、明朝体風であり、やはり日本を代表する車両に出るその地名にふさわしく、惚れ惚れするような実に見事なバランスに仕上がっている。
前から京都を歩くたびに、気になっていることの一つが、その「都」という漢字のとある姿だ。それは、「東京」は昔、「東亰」と書かれ、トウケイと読まれた、という通説とは関係がなく、「都」に点のある、いわゆる旧字体かどうか、ということでもない。
その「都」の気に掛かる姿とは、「都」の「者」の部分の「ノ」の起筆位置の低さである。今回は、2時間くらいの間に、10種類以上の品々で、その字体と邂逅した。それは、街中の看板や自動車のナンバープレート、はては路上の目印に至るまで、溢れかえっている。同じ看板屋が手掛けたなどという単純な結果でないことは、一目瞭然であろう。隷書、行書、楷書、さらに各種のデザイン書体、ロゴマークと実に多彩だ。
この字体を目にする頻度は、首都とされる東京都内を歩くときに比しても、明らかに高いと感じている。また、連載開始時の「那覇」(第1回・第2回)の時と違って、別に探そうと思ったわけではないが、上下、左右、前後(?)から、自然に目に入ってくるのである。
この「都」の字体は、他の地域でも全く見ないわけではない。日本道路公団が高速道路での可読性を高めるためとして使用した案内標識用の書体にも、同一あるいはよく似たもの(「土」の部分の「|」がそのまま下に伸びて左にはらうようにも見える)があり、今回も京都市内でもその書体を見掛けたような気がする。ただ、京都では、そのたぐいの字体の公私を問わない使用媒体での出現数の多さと、この字体の使用の割合が高いと考えられる点(いずれ検証してみたい)から、一種の「地域文字」として位置付けることも可能ではないかと思っている。
この字体の使用状況について、理由を少し考えてみたい。(次回に続く)