前回示した、京都での「都」の字体の使用状況について、理由を少し考えてみたい。
「都」は、常用漢字であり、かつ教育用漢字でもあるため、日本中でこの字体をしっかりと習うはずだ。「者」は「土」にある下の「亠」のような部分の右よりの箇所に「ノ」が長く交差するという、やや珍しい形態を持つ。「ナ」に近いともいえるが、「ノ」の起筆は微妙な位置から始まり、しかも長く伸びる。つまり「ノ」という線は一般に書きにくいものなのであろう。それを書きやすしようとした結果、書体によっては、「者」の「ノ」が「一」を挟んで切れて、水面を貫く光線のように、右と左とで離れている、そんな極端な例も見受けられる。それは、伝統的な楷書にも見られるのである。
そうした字体の特性から、この字を用いる人々は、少しでも省力化を目指す。実は中国でも伝統的な隷書や楷書、とくに行書に、写真と同様の「都」の字体が使われることが起こっていた。字体を簡易化すべく図って、この形が筆記で生じ、あるいは歴史的な書写体から選ばれ、日常的によく書く人々の間で継承されたのではなかろうか。この字体であれば、点画が比較的込み入らなくなり、見やすくもあるという利点もある。そういうことから、この字を書く、デザインするということがまた個々に行われる。
それらの経済性と古雅な字体への審美眼、可読性の追求が発端となって、この字体は使用が重ねられ、それが地域の人々の目にもなれ、それを見たものがまた模倣するという影響関係の循環が、この字体を京都で多く呈することの要因ではなかろうか。
「京都」以外の文字列でもやはりそうなっている。サッと書かれた字の写真(下)は、和装ショップ「和都凛衣 縁屋」(わとりえ えんや)である。
「都」という字に限らず、同様な現象は、実は各地に観察することができる。例を挙げると、神奈川県では、「奈」の「大」の部分が「ス」と続けて手書きされることが多い(奈良県でも同様であろうか)。また3字めの「川」も「ツ」のようにさっと書かれがちだ。千葉県でも、「葉」の「世」の部分が「丗」と少し簡略化されて手書きされる傾向が見て取れ、これはデザイン文字にもなっている。
漢字は、これらのように形がその地域に顕著な珍しいものであっても、そもそも文字というものが人々の間で空気や水のように当たり前の存在となっているため、地元の方々は大概こうした現象にむしろ気付きにくくなっている。しかし、文字にも地域に根差した「京訛り」のようなものがあるとすれば、それはかえって歴史豊かな「都」たるゆえんを示してくれているように、私には思える。