「襖」という字の旁は「奥」か「奧」か、字体に揺れがある。画面では見えにくいかと思う。携帯電話の画面上でも、「奥」と「奧」との区別が全く付かない字形となるものがあった。中身が「釆(ノ米)」(ハン)か「米」か、という違いである(*1)。この字体の細部での揺れ以上に、「襖」の字義の揺れは漢字圏において大きかった。
日本では、この字を、木と紙でできた日本家屋の伝統的な建具の「ふすま」として用いてきた。一方、ベトナムの最大民族である京(キン)族は、その民族衣装である「アオザイ」の「アオ」の表記に、この字を用いていた。このいかにも日本らしい和室の建具と、ベトナム的な衣装とに、同じ漢字が用いられていたことには、どのような理由があったのであろうか。
ベトナムでは、丈の長い上着である「アオザイ」が伝統ある衣装として有名だ。清朝の満州族が着ていたチャイナドレス(旗袍 qi2pao2 チーパオ)から、南国の暑さを逃れるために素材などを変えて生まれたもので、「Áo アオ」は、衣服・上着の意の漢越語であり、漢字で「襖」と書かれた。「dài ザイ」は、長いという意の固有語であり、チュノムとしては音義を表すためと見られる「曳」を旁に寄せた「」といった字が造り出された。女性の体にぴったりフィットした造り、切れ込むスリットが印象的で、学校や航空会社などの制服としても見かけられる。
「襖」という字は、中国では古典的な意味としては、その「うわぎ」のほか、「かわごろも」、「あわせ」であった。現代の中国語では、「ao3 アオ」と読み、長い衣のほか、中国式の裏付きの上着を指す。簡体字では発音によって「袄」となっているが、その字を見ると、北京出身の院生は、上着だと感じるものの、「ちょっと古い言い方っぽいですね。小さいときは使った言葉でした。今、もし使ったら田舎者のような感じです」と述べ、今は「上衣」とか「夹克」(ジャケット)「大衣」「外套」などの語を使うようになっているとのこと。
また、中国東北地方の出身の院生は、「冬に着る暖かい服を思い出します。昔だったら、「綿入れ」の服をイメージします」と語る。年取った人ならば、その字で「綿入れ」をイメージし、若い人だと「皮」の裏地が付いた上着をイメージする傾向があるそうだ。「夹袄」は、裏地があって、中に綿が入っていないもののことだ。なお、東北地方の田舎では訛って語頭に「n」が加わり、「nao3 ナオ」と方言で読む。
日本では、「ふすま」よりも実は「あを」(あお)と読まれることのほうが古かった。これは「襖」の日本漢字音(呉音・漢音)である「アウ」から変化して生じた語である。ベトナム語と発音が似ているのは、中国語の古い発音をともに残すためである。令制の武官の制服に定められて以降、公家の略服である「かりぎぬ」(「かりあを」から)、あわせの上着へと、その語が指す服の実体は移り変わった。中世期以降の「素襖」(すおう、すあを、すあうとも。「素袍」とも記す)にも、この語が含まれているようだ。
日本では、これとは別に、布団や寝具などの夜具を指す「ふすま」という和語が存在していた。それを用いる寝所での間仕切りとして「ふすま障子」というものができる。さらにそれを単に「ふすま」と称するようになった。それが両面とも布地張りであったことから、同じように両面布地でできていた「襖」(あを)の字が借りられて、ついにこの字が「ふすま」という建具を指すようになり、訓読みとしても定着をみたと考えられている。そのため、逆に、「ふすま」で「あを」のことを指すことさえ起こっていたともいう。
朝鮮半島でも、朝鮮王朝時代には「襖裙」(o gun オグン)で、女性のトゥルマギつまり朝鮮特有の外套のような着物とチマを指すことがあったようだ。いわゆる韓服のコートのようなもので、日本ではツルマキとも書く。
漢字圏各国では、衣食住にわたって、中国からの強い影響を受けてきた。しかし、それぞれの国における気候や産物、基底にある習慣などは異なるものが多く、それらに適合するべく新たなものが生み出されてきた。漢字は、それらにも、柔軟に覆い被さっていったことがうかがえるであろう。とりわけ、訓読みという方法を体系的に定着させた日本では、固有語の意味変化までが加わり、その変容ぶりはいっそう甚だしかったのである。
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