新聞に〈和と出合う〉(※)という連載記事がありました。歌舞伎・落語・生け花などに出会って活動の幅を広げた人々のことを取り上げていました。
このタイトルの「和」とは何かと聞かれて、分からない人はいないでしょう。もちろん、「日本」ということです。もっと正確に言えば、「日本(ふう)のもの」のことです。
「和」に「日本」の意味があるのは常識で、辞書にもちゃんと記されています。ただ、国名そのものを指して「和(倭)からの使者」などと言ったのは大昔の話で、後には「和服・和紙・和食」など、「日本(ふう)の」という意味で、熟語の一部として使われるようになりました。このような用法を「造語成分」の用法と言います。
ところが、最近、この造語成分が独立して、「日本(ふう)のもの」を表す1つの名詞として使われることが多くなりました。冒頭の〈和と出合う〉のほか、〈和への回帰〉〈和の世界〉〈「和」特有の美しさ〉などの例があります。
東京都立図書館の蔵書で「和の○○」を検索してみると、1990年代初めごろから〈和のたのしみ〉〈“和”の暮らし〉などの書名が目立ち始めます。〈和の菓子〉という例もあり、「和菓子」とは微妙に語感が違うようです。
以前は、「和」を名詞として使う場合、それはまず「調和」「仲よくすること」の意味でした。たとえば、「和を重んじる」という言い方がそうです。1980年に首相になった鈴木善幸は、激しかった党内抗争への反省から「和の政治」を掲げました。今なら、和風の政治をするのかと思う人がいるかもしれません。
『三省堂国語辞典 第六版』では、前回の第五版まで、名詞の「和」に3つの意味を認めていました。「和の政治」などの「調和」の意味、「倭の国王」など「日本」そのものの意味、そして「合計」の意味でした。
今回の第六版では、「和と出会う」などの言い方が広まっている現状を踏まえて、次のブランチ(意味区分)を加えました。
〈日本独特のもの。日本ふうのもの。「―を好む・―の世界」〉
「和服」の「和」(造語成分)と、「和と出会う」の「和」(名詞)は、つい見過ごしがちですが、はっきり違います。2つをていねいに分けて説明する必要があります。
※『読売新聞』2006.11.14~16。記事の表記は「出合う」ですが、私の文章の表記は『三国』の使い分けにしたがって「出会う」としました。