「日報」(アクセントはニが高い)には、会場で話している当日の写真まで載せてもらえた。「漢字の現在」が「漢字の現代」となっているのがご愛嬌で、むしろかっこよくなったかもしれない。県内では、全国紙よりもシェアが高いそうで、地方紙全体の中でも2番目に発行部数が多いそうだ。何かとご縁があることをありがたく感じている。
「新潟日報」では、地方紙らしく地元に密着していて文字にも特性が現れた。1997年に地域性を考慮して、
「柿」(熟柿……熟し柿か)
「椿」(雪椿まつり)
「錦」「鯉」(錦鯉 養鯉業・養鯉池)
「笹」(笹団子)
など、常用漢字表にない字でも使いたいとして、使用を解禁したそうだ。「柿」は、「カキ」とすれば牡蠣のこと、という区別をしているそうだ。
この10字以上というのは「日経」に次いで新聞社では2番目に多かったそうで、常用漢字に加えてもらいたかったとのこと(2010年にいくつかは入った)、「恥ずかしい」ともおっしゃるが、記事の地域色を反映し、活発な動きを表現する字であり、新潟の多彩なイベントと産物を雄弁に物語っている。奈良時代の現存する各地の『風土記』にも、見たことのない国字が産物名として遺っている。それらも古代の地域文字らしきものだった。
国字の「凧」もその解禁された字の1つで、2通りの読みが県内には見られる。
たこ 白根(しろね) 大凧合戦
いか 三条 凧合戦
「凧」の「イカ」は西日本に多い方言形であり、地域訓ともなっている。さすが東西の境にある地、東・西・東北の合流する地点だ。九州の長崎まで行くとこの字はまた別の方言で「はた」と読まれることがある。国字であっても表意文字、そして表語文字として機能している。「蛸」「烏賊」「旗」とは区別したいし、それぞれ仮名でも意味が分かりにくい。字音はないが字訓はそれぞれの地域で存在している。
「ふるさと」と呼ぶにふさわしいこの会で、その表記も話題となった。「故里」「故郷」などと書くこともある。昭和40年代に、若者の人口流出に悩む過疎町村の首長からの、「古里」という漢字表記は使わないで欲しいという強い要請を受けて、「新潟日報」では「ふるさと」ないし「ふる里」という表記に統一したそうだ。交ぜ書きのような表記は、語の読み取りを阻害するため避けるという意識もある。近年、マイナスイメージを逆手にとってそれを売り物にしようと、「古里」を使っても構わないということになり、「日報」でも「古里」に戻したそうだ。ただ、「心のふるさと」はひらがな書きを活用することになっている。
糸魚川出身の相馬御風も、早大校歌(勝手に日本三大校歌の一つ、さらに第二の国歌とまで呼ぶ向きもあるとか)の3番の自筆で、そう書いていた。なお、そこでは、「早稲田の森」「常磐の森」と「杜」は使われていない。学生たちの間では、この「常磐」は常陸と磐城を合わせた「ジョウバン」などの地名のことと勘違いされることが多くなっている。
「起意」という漢語が、こちらでは出馬表明などで使われるそうだ。「直播」は「チョクハ」だそうで、農業用語は難しい。「チョクハン」とも言うとのこと、「伝播」もデンパンの語形も見られ、「伝搬」という表記・語まで派生した。ただ、農家では「直播(じかま)き」と言うそうだ。
終了後に、お聴き下さったお婆さんから財布を頂いた。手作りだそうで、柔らかい手触りだが、しっかりとしている。布には「鰯 鯖 鮹」など魚偏の江戸文字が整然とプリントされている。話に出した「「鱚」(きす)はあるかしら」と探される。あった。ご家族には早稲田の方が何人もおいでだそうだ。
東京に戻る前に、セン屋という料亭に連れて行っていただく。「魚」を3つ書いてセン、「鮮」の異体字で33画。小型の漢和辞典の総画索引では「鹿」3つに並ぶことがある。しかし、看板をよく見ると左下の列火の点が1つない、と指摘する声がある。すると32画となる。画数占いによる信仰によるものではなく、バランス重視の結果だと思いたい。印刷会社の名に含まれる「興」の中の「口」が「コ」のようになっているのも、内部の人に聞いたという方に拠れば、画数を縁起良くするためだったそうだ。ともあれ、肴もお酒も堪能するうちに新幹線で戻る時間を迎えていた。
連載で扱った佐賀県の「うつぼ」の字が、公文書などでいわゆる康煕字典体で統一されることになったそうだ。
「正しい」字体への統一という流れの中に理解されるが、複雑な字体だけとなることで、要素の認識の際になんだか分からずばらばらに分解したり、手書きまで同じように書かなければという硬直化をきたした結果かえって不自然な字を書いたりといった混乱を深め、ひいては地元の人々の馴染みさえ失うような事態だけは起こらないようにと祈っている。