漢字の現在

第245回 沖縄の漢字

筆者:
2012年12月11日

沖縄へ、家族旅行と学会と、2年連続で冬に訪ねた。

現地で、たまたま乗れたタクシーの運転士は「金城」さん、この方は翌日に拾えたタクシーでも運転席にたまたまおいでであった。沖縄返還による本土復帰の時には、道路が一夜にして逆になってボランティアまで総出となって、大変だったそうだ。容貌も人柄もいかにも南方的で、温かく柔和で穏やかだ。薩摩よりなお一層縄文的な感じが漂う。「やがて着きます」、あっという間に着いた。ここの「やがて」には古語の一つの意味が残る。この地には鉄道はないが、タクシーの運賃が安い。本州の運転士も、それでやっていけるのかと驚いていた。

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トラックの車体には「琉」の字が入った社名が記されている。道路標識には「与那原 Yonabaru」「豊見城 Tomigusuku」とエキゾチックな文字と読みがあるが、後者は校名などではすでに共通語化して「とみしろ」になったそうだ。それをもう一度元に戻して市名とした。姓の読みも、かつていち早く本土風に変わった、いや本土に行くと変えざるを得ない状況に置かれた時代があったのだとも聞く。中国の民間信仰が伝来した「石敢當」があちこちに書かれているので、この地では「當間」などの姓とともにこの旧字体がよく目に入る。姓のほか地名でも「當銘」などもまた見かける。2004年に誕生した「うるま市」は、ウルがサンゴ、マが島を指す沖縄の方言によるもので、「宇流麻」とも当てられていた。

「那覇」は、バイクのナンバープレートでは旧字体のままで、上部が「245_1_s.png(那の左の二が右に出る)」となっていた。素材の制約によるものか、人名用漢字採用以前のまま、もしかしたらこれが今でも正式な地名表記の字体なのだろうか。県名となった「沖縄」の2字目にも、「繩」という旧字体も見かけた。

沖縄市の旧名のコザ(胡差)市は、もとは胡屋(コヤ・ゴヤ)であったが、Koyaを筆記体で速く書いたものが、Kozaと読み間違われてできたものという説がある。なお、筆記体は、近年、中学や高校で習わなくなったそうなので、大学生など若い人には説明しにくくなっている。このローマ字の誤読によるという説は本当なのだろうか。「山手」には「やまて」と読ませる地もあるが、山手線(やまのてせん)にも、進駐軍がYAMATEとローマ字で誤記したことによるとの一説がある。

中国への恭順を示したかの「守禮之邦」の額のかかる首里城跡では、「玉陵(たまうどぅん)」「斎場御嶽(せーふぁーうたき)」など、読み仮名がひらがなであることが不思議なほどに感じられる琉球方言によるルビがいくつも施されていた。掲示板では、やはりカタカナで読みが示されたものもあった。言語は日本語の方言であっても、かつては琉球王国という独立国であり、中国と日本との間で、なんとか均衡を保った。漢字文化圏への編入は本土よりも遅く、漢字や仮名の伝来も鎌倉時代の仏教伝来の時とされている。

読谷村は「たに」系の読みで「たに」が変化した「たん」、「ソン」も南国らしい音読みだ。「みね」は「峰」ではなく、「石嶺」「大嶺」と「嶺」(分水嶺のレイ)という字で路線バスの行き先に大きく表示されているのも、エキゾチックだ。「ヤンバルクイナ」は「山原」、「イリオモテヤマネコ」は「西表」のものであり、沖縄式の漢字の発音がそこに住む動物の名を通して本土でもいつの間にか覚えられている。

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*小著『訓読みのはなし』(光文社新書)の韓国語版を仁川大学の方が作って下さった。翻訳・出版を申し出てくれたのは、院生時代に机を並べた後輩の李健相(イー・ゴンサン)氏で、今では韓国で教授をされている。

//book.naver.com/bookdb/book_detail.nhn?bid=7008599

別に、三省堂の『漢字の現在』の中国語版も、刊行に向けて準備をしていただいている。

こうしたことを通して、日中、日韓の間の政治的な関係が怪しくなってきたとしても、漢字を伝えてくれた両国と、教わった日本とのつながりがいかなる政治的な接触、文化的な交流の歴史を経て生じたのか、そしてどのようにしてかくも激しい個性が生まれてきたのかということを相互に冷静に理解することに少しでも役立てればと願っている。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。