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第10回 『ハリー・ポッター』の呪文

筆者:
2011年8月25日

『ハリー・ポッターと賢者の石』ではじまるJ. K. ローリングの7作のシリーズは,言わずと知れた魔法使いの少年,ハリー・ポッターを主人公とするファンタジー小説です。この『ハリー・ポッター』シリーズでは,設定上,作品のそこここに魔法の呪文が出てきます。

そこで,問題です。

 (問題その1)あなたが作者なら,呪文をどのようなものにしますか?

第8回9回では,呪文にはふたつのパタンがあることを見ました。真正型と普及型です。真正型呪文は,たいてい聞き手には理解できない難解なものです。「オン・アボキャ・ベイロシャノウ」ではじまる光明真言がその代表例でした。他方,普及型呪文は,[呪術的前付け+効能説明]のかたちをとり,呪文ではありながらも何の呪文か分かるようになっています。たとえば,「テクマクマヤコン,テクマクマヤコン,沢穂希選手になーれ」がその例です。

子供向けのアニメなどでは,この普及型呪文が幅を利かせています。呪術的前付けをお約束として一つ考案したら,後はこれですべて事足りるからです。しかも,子どもはお約束の決まり文句をわくわくしながら待ち受けているものなので,なおさら都合がよい。さらには,何の呪文か説明がなされるので,話の筋を理解するのにも便利です。

これを『ハリー・ポッター』でやったらどうなるでしょうか?

『ハリー・ポッター』には大人の魔法使いも登場しますので,全編,普及型で通せというのは,ちょっとキツイですよね。あまりに子供っぽくなってしまいます。映画になったらなおさらです。スネイプ先生役のアラン・リックマンが,テクマクマヤコン的な呪文を例の低いソフトな声で唱えるのは,正直,つらいものがあります。ほかの映画を見るときまで影響してしまいます。もう,クリスマスには映画『ダイハード』を観るという楽しみが台なしです。(スミマセン,脱線してしまいました。あの,ちなみにこのスネイプ先生は『ダイハード』で血も涙もない悪役をリアルに演じております。)

もとより,普及型なら「アブラカダブラ」のような呪文をひとつ覚えたらいいわけで,だったら,ホグワーツ魔法学校で魔法の勉強する必要がなくなります。作品の世界観までぶち壊しです。つまり,作品の必然としてここは真正型呪文でなければならないのです。というわけで,『ハリー・ポッター』では,さまざまの(少なくとも見かけ上は)真正型の呪文が登場します。

そこで,さらに問題です。

(問題その2)真正型呪文をいきなり登場人物が唱えだすと,読者はなんのことか分からず戸惑うかもしれません。これにはどう対処すればいいでしょうか?

(問題その3)真正型呪文ですと,魔法の数だけ呪文を作らねばなりません。ランダムに得体のしれない呪文を作ると,すぐにネタが切れてしまいそうです。何かいい方法はないでしょうか?

まずは,(問題その2)から考えてみましょう。と,そろそろ調子が出てきたところですが,続きは第11回で。

筆者プロフィール

山口 治彦 ( やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。

専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。

著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998),『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版)

 

『語りのレトリック』(海鳴社)

編集部から

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。