山下の「国字の改良に就いて」に対しては、もちろん賛否両論がありました。賛成派の第一人者は日向でした。日向は、唐木屋での貿易業のかたわら、カタカナ横書きの利点を、各社の取締役や実業家に説いて回り、山下が主張する「カナモジ ウンドゥ」を強力に推し進めていきました。一方、反対派の急先鋒は、東京大学の田丸卓郎でした。ローマ字運動の理論的指導者だった田丸は、著書『ローマ字国字論』(1914年10月、日本のろーま字社)で、仮名とローマ字をこう比較しています。
音文字を使うとすれば、仮名とローマ字との二つが問題となる。
日本で一般に知られている音文字は、云うまでもなく仮名である。従って、仮名だけで日本語をすべて書こうという論者もある。しかし仮名には、それの形から来る欠点があって、これは到底救うことが出来ないと思われる。仮名は漢字と交ぜて使ってこそ便利なようだが、仮名ばかりで書いた文は、はなはだ読みにくい。これは「いくさ」なら「いくさ」と云う語にある三つの仮名が一つ一つ離れていて、三つ全体で一つのまとまった形をなさないと云う点にあると思われる。漢字は一字が意味のある語であるために形を見て直に意味を知るという利益がある。それに比して仮名文の分りにくい最大の理由は右のように一語がまとまった形をなさないにあるに相違ない。
ローマ字は世界の文明圏一般に使われている音文字で、仮名にある上のような欠点のないことは、英語仏蘭西語その他で書いた文章が別に読み取りにくいことのないので十分明に知れる。もちろん、見て直に読み取り得るには慣れが必要で、ローマ字の日本文に慣れないうちは読み取りが容易だとは云われないけれども、慣れさえすれば差支えないということだけは、英語仏蘭西語その他の例で確かに証明されている。
山下は、田丸の主張にあえて反論はせず、カタカナ活字の改良を始めました。仮名が読みにくいというなら、読みやすい活字を設計すればいいのです。ただし、この頃ヨーロッパでは戦争が勃発しており、日本もドイツに宣戦布告(1914年8月23日)、青島や南洋諸島ではドイツ軍との衝突が起こっていました。戦線が拡大する可能性を考えると、山下にとっては、銅や鉄の増産も急務でした。
山下は、住友伸銅所での銅の増産に向けて、安治川と正蓮寺川の港湾施設拡充計画を推し進めると同時に、住友鋳鋼場での鉄鋼の増産計画を練り始めました。住友鋳鋼場も安治川北岸の島屋にあるので、安治川の港湾拡充とセットで進められると考えたのです。住友鋳鋼場を改組し、1915年12月10日、住友鋳鋼所の取締役に就任した山下は、鉄の増産に明け暮れながらも、それでも鉛活字の鋳造もおこなっていました。カタカナ活字の改良は、山下の心を捉えて離さなかったのです。
(山下芳太郎(25)に続く)