タイプライターに魅せられた男たち・第168回

山下芳太郎(23)

筆者:
2015年2月12日
山下芳太郎「国字の改良に就いて(一)」(『時事新報』1914年6月3日号)

山下芳太郎「国字の改良に就いて(一)」(『時事新報』1914年6月3日号)

1914年6月3日の『時事新報』に、「国字の改良に就いて」と題する山下の論考が掲載されました。ロンドンでタイプライターと出会って以来、ずっと山下の中にくすぶり続けていた、日本語の書字の「進化」というアイデアが、ようやく形を取りはじめたのです。

欧米の実業界が、今日の如く活動するに至りし一大原因は、タイプライターの利用にあり。もしそれ片時たりともその利用を禁ぜんか、実業界の活動は俄かに停止せんのみ。現今欧米の商店工場において一理事者が作成する書類は、日々少なくも数十通を下らず、多きは数百通に及べり。これ理事者の発する言葉がタイピストの指頭によりて、たちどころに文書となるがためなり。かくの如き盛況は、欧米にありても数十年前には夢にだも考えざりし所なり。然るに今日日本における文書作成の状況は、数十年前に比して異なる所なし。これ日本の国字が、この種の器械に利用せらるるを許さざるを以てなり。かくの如くにして、なお今後、文字の改良せらるるなくんば、将来実業上において、日本が大なる活動をなす能わざるは、疑いを要せざらん。

山下がロンドンに駐在していた17年前に比べても、欧米におけるタイプライターの重要度は、確実に増していました。それに比べて、日本でのタイプライター普及が完全に立ち遅れてしまっているのは、ひとえに漢字のせいだと、山下は考えたのです。そして、翌6月4日の『時事新報』で、山下は、国字改良の具体的な方法として、カタカナ横書きの採用を提案しています。

吾人は国字の改良がその必要を認めらるると共に、速やかに断行せられんことを望むや切なり。故に能う限り実行しやすく、また普及しやすき方法においてせんことを、こい願うて止まず。ここにおいて、ローマ字のごとき新たに教育上の手数を要すべきものを採らずして、仮名文字を採れり、書き方の区々たる平仮名を採らずして画一なる片仮名を採れり、文字の体裁としては、欧文の一語または漢字の一字に対するが如く、目に慣れやすからしめんため、撥音拗音促音の附属字は特に細字を用い、その他はすべて幅狭き字形を選べり。而してまた、その書き方としては、書きやすき横書き体を採れり、吾人の案と称するは実にかくの如き平凡なるものに過ぎず。然れどもその平凡にして新意匠の加わること少なきは、本案の実行しやすく普及しやすき長所なりと信じて疑わず。

ただし、山下は、全ての漢字をカタカナにするのではなく、漢数字は残すべきだと主張しています。

片仮名以外に必ず使用を要すべき文字は、数字の〇より十に至る十一字あり。その理由は別に説明の要なきが如し。もしこれありとせば十の一字のみ。我が日本語には二三日あるいは四五回などいう熟語あるが故に、今、十の字を使用せざる時は、二、三日と二十三日。四、五回と四十五回との区別を明瞭たらしむること困難なるべし。現時吾人の日々使用せる電報用字中に十の字を存せざるため不便を感じ、あるいは誤解を生ずることあるは、世の等しく認むる所なり。故にこの一字は決して数字中より除去すべきものにあらず。

山下芳太郎(24)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。