タイプライターに魅せられた男たち・第148回

山下芳太郎(3)

筆者:
2014年9月18日

1897年6月、ロンドンの各国領事館は、どこも大忙しでした。ヴィクトリア女王(Queen Adexandrina Victoria)の在位60周年、すなわちダイヤモンド・ジュビリーを祝うために、世界中から要人が集まってきていたからです。日本の場合、公式出席の有栖川宮威仁親王と伊藤博文は、在英特命全権公使の加藤高明と帝国公使館が引き受けてくれるとしても、それ以外の日本人は帝国領事館に集まってきます。ロンドンに向かっている要人の中で、もっともややこしそうな人物は、西園寺公望でした。西園寺は、伊藤首相のもとで文部大臣と外務大臣を兼任していたのですが、首相が松方正義に交代するや大臣を辞任(1896年9月)し、そのままヨーロッパ漫遊の旅に出てしまったのです。山下の上司は、在倫敦帝国領事の荒川己次で、そのずっと上の上司は、もちろん、外務大臣の大隈重信です。でも、その意味で西園寺は「以前の上司」にあたるわけで、山下にしても、荒川にしても、そう無下には出来なかったのです。

ヴィクトリア女王在位60周年記念パレード(1897年6月22日)のルート(手前が北)

ヴィクトリア女王在位60周年記念パレード(1897年6月22日)のルート(手前が北)

ヴィクトリア女王在位60周年記念式典のメイン・イベントは、6月22日に予定されている記念パレードでした。バッキンガム宮殿を出発し、チャーリング・クロスからセント・ポール大聖堂を通ってロンドン橋を渡り、セント・ジョージズ・サーカスからウェストミンスター橋を渡って、またバッキンガム宮殿へと戻る、というのが記念パレードの予定ルートで、ロンドン市街をテムズ川の北から南へと回るものでした。在倫敦帝国領事館は、ロンドン橋の少し北、ビショップスゲートにあり、記念パレードのルートからは外れています。帝国領事館からパレードを観覧するのは無理です。

山下たちは、ルート沿いの建物の階上の部屋をいくつか、パレード当日に借り受け、記念パレードを上から観覧することにしました。セント・ポール大聖堂からロンドン橋にかけての沿道なら、帝国領事館からも近いので、準備も含め、何かと好都合です。ただ、パレードの観覧場所は確保できたものの、宿泊に関しては、思うようにまかせませんでした。ロンドンじゅうのホテルというホテルが満室で、予約など、もはやできなかったのです。山下たちは、空きアパートを1~2ヶ月間借りておくことで、何とか日本人の宿泊に充てようとしましたが、それでも、部屋が足りずに苦しんだようです。6月22日が近づくにつれ、ロンドンには、片岡直温や山中定次郎など、次々に日本人が到着していました。しかし、それらの日本人の中に、西園寺の顔は、ありませんでした。

山下芳太郎(4)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。