ヴィクトリア女王在位60周年記念パレードのその日が、どんどん近づいているにもかかわらず、西園寺はロンドンに現れませんでした。その代わりに、西園寺の弟、住友吉左衛門友純が、6月20日の夜遅く、ロンドンに到着しました。西園寺と住友は、一緒にパリを出発してロンドンに来る予定だったのですが、西園寺がパリで盲腸炎を発症、切らずに散らす(開腹手術はおこなわずに自然治癒を待つ)ことにしたため、西園寺をパリに残し、住友だけがドーバー海峡を渡ってきたのです。
1897年6月22日、60発の祝砲を合図に、ヴィクトリア女王在位60周年記念パレードがおこなわれました。海軍の銃部隊を先頭に、軍楽隊、騎砲兵隊、竜騎兵隊、重騎兵隊、槍騎兵隊、補佐官、州総督、議員、州長官、王家の子供たちを載せた幌馬車、市長、インド軍に護られた国内・国外の王子、司令長官、エドワード皇太子(Prince Albert Edward VII, Prince of Wales)とコノート公アーサー(Prince Arthur William Patrick Albert, Duke of Connaught)、ヴィクトリア女王を載せた馬車、ケンブリッジ公ジョージ(Prince George William Frederick Charles, Duke of Cambridge)、そして、アイルランド・ウェールズ・カナダ・サウスウェールズ・ヴィクトリア(オーストラリア)・クイーンズランド(オーストラリア)・南オーストラリア・喜望峰・ナタール(南アフリカ)・トリニダード諸島・キプロス・マルタ・西オーストラリア・ボルネオ・ジャマイカ・シエラレオネ・黄金海岸(ガーナ)・英領ギアナ・セイロン(スリランカ)・マレー半島・香港の騎兵隊やライフル隊が延々と続き、非常に長大なパレードでした。パレードの先頭がバッキンガム宮殿を出発したのは8時45分、女王がバッキンガム宮殿を出発したのは11時15分、女王が戻ってきたのは12時半のことでした。有栖川宮も日本の王子として、騎馬でパレードに参加しました。
行列の何ヶ所にも配置された軍楽隊が『God Save the Queen』を演奏し続けるなか、ヴィクトリア女王と大英帝国の栄華を世界に示すべく、全ての植民地の軍隊を引き連れる形でおこなわれたこのパレードを、山下や住友は、セント・ポール大聖堂に近い建物の階上から観覧しました。ヴィクトリア女王を載せた馬車が差し掛かるとともに、セント・ポール大聖堂では、祝祭の鐘が派手に鳴らされ、500人のコーラスが讃美歌を唄い、60年も続いたヴィクトリア女王の治世を祝いました。パレードの長大な行列が、セント・ポール大聖堂を通過し終えたのは、午後1時半も過ぎた頃のことでした。
(山下芳太郎(5)に続く)