日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第89回 意図万能主義について

筆者:
2015年7月5日

荻上チキ氏が「状況に応じてキャラを選択し使い分けていく(中略)「キャラ型自己モデル」」と書かれたりすると(荻上チキ『ネットいじめ―ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』PHP研究所, p. 220, 2008),私は「キャラ型自己モデル」という発想の面白さよりも「選択し使い分けていく」の部分に目がいってしまい,たとえば「いつの間にか『姉御』キャラになってしまう」という事例(補遺第9回)はどうなるのか,などと思ってしまう。

土井隆義氏が「対人関係に応じて意図的に演じられる外キャラ」と書かれたりすると(土井隆義『キャラ化する/される子供たち―排除型社会における新たな人間像』岩波書店, p. 24, 2009),私は氏の「外キャラ・内キャラ」の区別の斬新さよりも何よりも「意図的に演じられる」の部分が気になってしまう。

岡本裕一朗氏が「キャラ(クタ)」を「フィクションとして演じられる役柄」と述べられると(岡本裕一朗『12歳からの現代思想』筑摩書房, p. 57, 2009),私はその何とも簡潔で的を射たまとめ方に感嘆しつつも,「役(柄)」という考えにうっすらにじみ出る目的論(本編第35回)に警戒心を抱いてしまう。

他人の揚げ足を取り重箱の隅をつついて,いったいおまえは何がしたいのかと怒られそうだが,私の問題意識は人類学者・北村光二氏が30年近く前に書かれた,次の(1)とほとんど変わらない。

(1) 言語を中心に考えられたコミュニケーションのモデルは,たとえば「送り手の意図に基づく情報の伝達」といういい方に代表されるものであるが,これが身体的コミュニケーションの典型的な事例にうまくあてはまらないのである。

[北村光二1988「コミュニケーションとは何か?」『季刊 人類学』19-1, 40-49. p.42]

このうち「伝達」についてはそろそろ言語研究界でもほころびが見えてきて,今では出版社から「コミュニケーションは伝達一辺倒の考え方では説明しきれないという論調で,どうでしょう?」などと伝達論批判を見越した原稿が打診されるところまで来ているが,「意図性」については言語研究ではいまだに呪縛が解けず当然視されることが多い。

コミュニケーションにおけるさまざまな発話が,また発話のさまざまな面が話し手の意図とは無縁であることを説いていくと,「そんなこと,わかってるよ」と開き直ったり,「でも,意図的な発話も沢山あるでしょう」と牙城にこもって目をそむけたり,そして結局のところ戻っていくのが古典的なグライスの「非自然的意味」であり,またスペルベルとウィルソンの「伝達意図」であり「情報意図」であり「意図明示的推論コミュニケーション」でありといったスタンスが,言語研究においていかに多いことか。詳細は近著『コミュニケーションへの言語的接近』(ひつじ書房)で述べるが,私の「キャラ(クタ)」論は何よりもこのような意図万能主義に対する疑念を背景にしている。「病理的なケースを除けば盤石不動の人格が,状況に応じて柔軟にスタイルを変える。これで何か不都合でも?」という伝統的な立場に対して,「不都合」を具体的に明らかにし,人格とスタイルの間に「変わらない,変えられないことになっているが変わってしまう。それが変わっていることが露見すると,見られた方も見た方も気まずい」という層を設けて新しい人物観を提示すること,私の「キャラ(クタ)」論はただこの一事だけを目指している。

斎藤環氏は,日本に多重人格が相対的に少ないことを指摘され,「日本人は,自らキャラ化することで,これらの病理を免れているのではないか」とされる(斎藤環『キャラクター精神分析―マンガ・文学・日本人』筑摩書房, 2011, p. 230)。このあたり,外的な圧力と内的な欲求の間での2段式のバランスの取り方・3段式のバランスの取り方(補遺第9回)と通じるものがあるように思うのだが,これをさらに検討するには,私は(氏の「換喩」としてのキャラ論を十分に理解するだけでなく)自分の「キャラ(クタ)」論にひと区切りをつけ,意図性に対する目クジラを笑っておさめられる日を待たねばならない。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。