タイプライターに魅せられた男たち・第47回

オーガスト・ドボラック(13)

筆者:
2012年8月16日

ドボラックのロビー活動も空しく、1956年7月1日、アメリカ共通役務庁は、連邦政府においてはドボラック式配列の採用を当面おこなわない、と決定しました。この決定に対しドボラックは、何の反論もおこなわず、その後の論文においてドボラック式配列を登場させることはありませんでした。当時のドボラックの失意のほどを、モチベーショナル・コミュニケーションズ社のパーキンソン(Robert Parkinson)は、こう回想しています(『Computer & Automation』誌1972年11月号)。

1962年のことだった。私は万国博覧会でシアトルにいた。その際に私は、ドボラック簡素化キー配列の発明者、オーガスト・ドボラック博士を訪ねた。このキー配列は、タイプライターのキーボードを科学的に再配列したもので、効果的で高速なタイピングを可能にしていた。だが、驚いたことにドボラック博士は、何というか、悲痛な人物だった。彼は言った。

「人類のために良かれと思って頑張ってきたのだが、もはや疲れた。人は、単に、変化を嫌うのだ!」

ドボラック博士は、もう30年もの間ずっと、簡素化キー配列を世に紹介し続けてきた、と私に話した。そして、その度ごとに阻止され続けてきたことも。当時、彼は68歳で、教育学の教授として永らく勤めたワシントン大学を、すでに退職していた。そして、彼の発明が世に受け入れられる望みを、全く失ってしまっていた。

ドボラックがワシントン大学を退職したのは、1964年、70歳の時のことなので、話が微妙に合わない気もするのですが、まあ、ドボラックは失意の底にいたのでしょう。パーキンソンは、さらにこう続けます。

ドボラック博士の発明が受け入れられるまでの苦闘の歴史を話す前に、今日において広く使われているタイプライターのキーボードが、どのように作られたのかを記す必要があるだろう。このキーボードは、タイプライターの発明者ショールズによって実験的に設計されたもので、タイピストのスピードを遅くするためのものだ。

しかし、そのショールズが設計したというQWERTY配列は、アメリカ規格協会によって1966年7月15日、『ASA X4.7』というタイプライター用キー配列の標準規格となりました。さらに、1971年3月31日、アメリカ規格協会は『ANSI X4.14』というキー配列規格を制定、アメリカにおけるコンピュータ用キー配列の標準も、QWERTY配列となりました。

1975年10月9日、ドボラックは亡くなりました。81歳でした。ドボラック式配列は、残念ながら、いまだ世間に普及したとは言えない状態です。けれども、「QWERTY配列はタイピストのスピードを遅くするためのものだ」というガセネタは、今や世界の常識とも言えるものになっています。ドボラックは、ドボラック式配列の普及には失敗しましたが、QWERTY配列に対するネガティブ・キャンペーンには大成功した、ということでしょう。世界中の多くの人々が、「QWERTY配列はタイピストのスピードを遅くするためのものだ」というガセネタを、頭から信じてやみません。しかしそれは、本当にドボラックが望んだことだったのでしょうか。

(オーガスト・ドボラック終わり)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。